第464話 第四章「右と左の記録」後編

「証人を一人ずつ置きます」

 エリアは証拠車の外から、座席へ透明な人型を投影した。

 ヘスタ。

 右窓五番。

 車体先頭向きの椅子。

 通路へ半身。

「右窓枠が光った」

 窓枠へ青い線。

「床継ぎ目から炎」

 旧床へ橙の点。

「小柄な人物が、身体の右から左」

 矢印。

「次、サナ」

 通路床。

 患者の頭側を前。

 患者左へ膝をつく。

「天井配管から火。右肩へ広がる。白い袖が下へ」

 別の矢印。

「今のままだと、同じ場所へ置けない」とハル。

「重力を固定しているからです」

「重力を回す」

「まだ証拠が足りない」

「血痕」

「方向は示す。時刻を示さない」

「時刻表」

「三十秒ずれる」

「車輪」

「二方向」

「一個分かると、別の一個が邪魔する」

「邪魔ではありません。止めている」

「何を」

「都合のよい結論へ走ること」

 エリアは次の人型を置く。

 ティア。

 救難円中央から一目盛り後方。

 右膝の痛みで、予定位置よりずれた。

「私の号令位置は、ここ」

 ティアが自分で修正する。

「図では一目盛り。身体では?」エリア。

「重心が左へ寄っていた。上半身は避難者へ正面。右足は円の外」

「旧報告には」セレナ。

「『救難円中央に直立』」

「直立していない」

「直立しようとしていた」

「意図は姿勢になりません」

「分かっている」

 ティアの声は低い。

「当時、私は『正しい位置へ立った』と証言した。痛みで一歩ずれた自分を、規則違反と認めたくなかった」

「それが事故へ影響したと思う?」ハル。

「まだ推測しない」

 ティアはセレナの言い方を借りた。

「ただし、私の号令を受けた者から見える位置が変わった。検証する」

 同じ厳格さが、自分を守る鎧ではなく、自分を調べる道具へ変わり始めている。

 変化は派手ではない。

 規則を捨てることでもない。

 規則を、自分の外側へも向けることだった。

 テトの人型は低い。

 接続台の外側。

 窓下縁より視点が下。

 背伸びをした時だけ室内が見える。

「火は左下」とテト。

「あなたの左下」

「はい」

「窓の向こう?」

「接続台の隙間」

「人物は」

「上半身だけ。格子の袖。横縞札へ走ったと思った」

「横縞札の位置」

 テトが透明板へ三本の短線を引く。

「事故前は列車後部を示していました」

「事故中は?」

「自動切替が止まった。僕が手で移す前」

「つまり、札が示した方向と実際の進行方向が一致していたか不明」

「はい」

「でも追った」

「札を守るのが仕事だと思った」

「十二歳の仕事として重すぎない?」ハル。

「故郷駅は人が足りなかった」

「大人は」

「時刻表では足りてました」

「生活では」

「足りなかった」

 同じ人数でも、表の中と現場では不足の意味が違う。

 ミコの人型は、幅だけ。

 身長を決めない。

 銅札棚へ手が届く範囲。

 窓下縁より視点が低い範囲。

「形がぼやけてる」とハル。

「本人がぼやけているのではありません」とセレナ。「情報を持っていない」

「情報がない人型」

「情報を作らない人型」

 ミコは証言席から見る。

「顔、いらない」

「はい」

「服の色も」

「格子模様だけ。テトの供述と一致する可能性は示すが、同一人物と断定しない」

「銅札は」

「現物寸法を入れます」

 黒い銅板。

 十三の穴。

 三枚歯の切込み。

 ミコの胸へ抱えられる大きさ。

「重さ、三・六キロ」とロロ。

「走れる?」

「身体条件を決めてないから断定しない。だけど棚から出口まで短い。火があれば走る」

「俺なら走る」ハル。

「あなたを標準にしないで」とエリア。

「走る標準」

「事故標準」

 オルサは連結器脇。

 一八三センチの身体を点検口へ折り、左小指の欠けた手で安全封線へ工具を当てる。

「一回目、封線」

 透明板の楔印が動く。

「二回目、主楔」

「間に何を見た」とセレナ。

「炎が医療側へ回った。車体圧が上がった。連結器を残せば、燃える車が第六車を引く」

「イヴァの分岐は」

「知らない」

「号令」

「ティアの『前へ』は聞いた」

「どちらへ動いた」

「俺は動かなかった。前が分からなかったから」

 ティアの目がオルサへ向く。

「返答を求めなかった」と彼女。

「聞こえたかも確認しなかった」

「そうだ」

「なぜ三年前に言わなかった」

「質問されなかった」

 ヘスタと同じ返答。

 旧法廷は、決めた物語に必要な質問だけをした。

 最後にイヴァ。

 第六車後端から補助運転台。

 火災警報。

 重力札。

 連結圧。

 分岐レバー。

「あなたの身体の向きは」とエリア。

「最初、列車先頭。運転台へ入った時、進行方向へ背を向けた」

「なぜ」

「折返しへ入って、列車が後退していた」

「運転台の『前』は」

「車体前部」

「走行の前は」

「車体後部」

「分岐図の上は」

「鎖港側」

「重力の上は」

「切替中」

 ハルが頭を抱える。

「イヴァ、一人で方向を何個持ってたの」

「車掌は持つ」

「だから静かなの?」

「叫ぶと方向が増える」

「そんな理由?」

「今作った」

「イヴァが冗談を言った」とテト。

「記録するな」

「私情として封印」とセレナ。

「何でも封印するな」

 車内に短い笑いが走る。

 事故の再現は、笑ってはいけない場面ではない。

 笑ったことで失われる責任もあるが、笑わないことで人間を証拠部品へ変える責任もある。

 セレナは笑いを記録しない。

 その代わり、イヴァの身体向きを三つに分けて板へ描いた。

 同じ人間。

 同じ一分。

 別の前。

 九枚の透明板を、エリアは一度すべて離した。

「まだ重ねないの?」ハル。

「先に、現在の列車で同じ条件が起きるかを見る」

「三年前の事故を再現?」

「事故は再現しません。方向だけ」

「火は」

「起こしません」

 ロロが床下の現行線を見上げる。

「その台詞、機械の前で言うと縁起悪い」

「縁起ではなく点検して」

「してる!」

 この時、誰もまだ知らなかった。

 事故を再現するつもりがなくても、事故を作った条件の方が、三年間修理されずに再現を待っていたことを。

 列車が次の重力切替へ近づく。

 テトの放送が入る。

「第三重力折返し、二分。床側から右壁側へ九十度、その後、天井側へ九十度。座席固定。荷物と自尊心を二点留めしてください」

「王太子を見て言った?」カイル。

「今回は全員です」

「成長したな」

「王太子殿下だけ三点でも」

「差別!」

「別条件です」とティア。

「その言い直し、便利すぎないか」

「便利だから規則へ入れる」

 エリアは透明測量糸を証拠車の四隅へ張る。

「切替中の車体変形を測ります。ロロ、前後輪。セレナ、時刻。ハル、外側の歩数位置から振動。テト、重力札」

「命令の参照点、明確」とティア。

「監査ありがとう」

「評価ではなく記録」

「セレナが二人」ハル。

「増えてません」

「法廷に厳格な人が多い」

「あなたが緩すぎる」と三人同時。

「声そろった!」

「証言が一致しました」とカイル。

「証拠能力なし」とセレナ。

 第一段階。

 床が右へ傾く。

 磁靴が鳴る。

 椅子の留め具が引かれる。

 証拠車の煤が、細い粉となって右壁へ滑る。

「重力四十五度!」テト。

「前輪、正。後輪、正!」ロロ。

「測量糸、前部二ミリ伸長!」エリア。

「振動、入口から十四歩で低音!」ハル。

「時刻、第七雷刻十一分二十秒」とセレナ。

 第二段階。

 右壁が床になる。

 ハルの身体は連絡廊下の固定索へ引かれる。

「痛み」エリア。

「一」

「具体的」

「肩じゃなく腰」

「続行」

 証拠車の迂回管が、低い音を立てた。

 ぷつ。

 ロロの四本の補助腕が同時に止まる。

「何」

「圧が落ちた」

「現行管?」

「証拠車は走行外骨へ現行の潤滑線を一本通してる。古い迂回管じゃ――」

 甘い樹脂臭がした。

 ハルは三年前の証言を思い出す。

「ヘスタが言った匂い」

「全員、呼吸布!」サナ。

 赤い手袋が救護袋を投げる。

 第三段階。

 重力が天井側へ回る。

 床下にあった潤滑液が、剥がれた管継ぎから流れ出す。

 だが、いま床下は上だった。

 液体は天井へ落ちた。

「上へ漏れた!」ハル。

「現在の上だ!」ロロ。

「熱源を切れ!」

 証拠保全棚の温度維持器。

 古い紙を湿気から守るための細い雷熱線。

 セレナが緊急遮断札を引く。

 一拍遅い。

 青い火が、天井になった旧床を走った。

 証拠車の窓が一斉に光る。

「火災!」テト。

「自動切離しが動く!」ロロ。

 床下――いまは頭上で、楔が外れる音。

 一回。

 軽い切断。

「安全封線!」オルサが立ち上がる。

 二回目の音はまだない。

「主連結器まで十二秒!」

 法廷列車は止まれない。

 燃える証拠車だけが、後ろへ離れ始めた。

 エリアの透明板の上で、車体の右と進行方向の右が、炎を挟んで別々に裂けた。