第476話 第十章「責任と無罪は別」後編

「第五、救難命令」

 ティアの右膝は冷却帯で巻かれている。

「号令の参照点欠如」

「認めます」

「十三歳」

「事実です」

「指揮資格」

「候補生。正式指揮権なし。ただし現場で上級者が不在となり、救難補助号令を行った」

「責任は、子供へ現場を任せた組織にもある」

「はい」

「あなた個人には」

「自分の号令を報告した。曖昧さを報告しなかった。当時は曖昧だと理解していなかった」

「知らなかったことへ責任を負う?」

「知らなかった理由を調べる責任はある」

「罰を?」

「罰だけを求めません。号令規格を変えます」

「具体的に」

 ティアは新しい短冊を掲げた。

 一、参照点。

 二、対象者。

 三、番号位置。

 四、動作。

 五、復唱。

 六、身体条件申告。

「長い」とロロ。

「平時の訓練で短縮符号を共有します」

「危機で忘れる」

「形状札と床番号を併用」

「費用」

「学院救難予算へ申請済み」

「偉い!」

「ただし不承認なら、議事録公開」

「もっと偉い!」

 ティアは褒められても笑わない。

 代わりに、装具の革帯を一度確認する。

「そして、指揮者の負傷申告を号令前に行う」

「自分のため?」とエリア。

「全員のためです」

「自分も入ってる?」

 ティアは、少しだけ間を置く。

「入れます」

 それは規則改訂より小さく、難しい変更だった。

「第六、行政・政治責任」

 カイルは自分の板の前へ立つ。

「十三番分類を作り、期限を終了できない制度にし、四十七人を設備として扱った。これは事故原因の一部であり、事故後被害を三年継続させた中心責任だ」

「当時、あなたは政策決定者ではない」とベル。

「王家は制度の受益者だ」

「血縁責任か」

「刑事責任ではない。政治責任だ」

「何をする」

「被害補償、権利回復、分類廃止、記録公開、再発防止予算。王家の権限でできる範囲を行う。できない範囲は議会へ提出し、否決した者の氏名と理由を公開する」

「王子が謝れば済む?」

「済ませないために、金と期限と担当を付ける」

「金で償えると」

「金で戻らないものがある。だから金を払わなくていい、にはならない」

 ロロが深く頷く。

「今のは記録しろ。大きく」

「通常字体です」とセレナ。

「太字!」

「法廷書式にありません」

「作れ!」

 政治責任は、謝罪の言葉だけではない。

 予算をどこから移すか。

 誰の事業を止めるか。

 どの権限を制限するか。

 責任には、必ず不人気な支払いがある。

 政治責任の板を書き終えた時、ベルがカイルへ訊いた。

「王家の責任を認めるなら、おまえが辞任すべきだという声も出る」

「まだ即位してないのに、先に退位?」

「冗談で逃げるな」

 カイルは笑いを消した。

「辞めれば、責任を取ったように見える」

「見えるだけだと?」

「辞めるべき時もある。権限を持ち続けることが是正を妨げるなら。でも、俺が辞めて、王家基金も公開命令も消えたら、誰が得する」

「地位へ執着する者は、皆そう言う」

「だから自分で決めない。被害者、議会、監査の判断へ従う。続投する場合も、権限制限と期限を付ける」

「王が監査される国になる」

「ならなきゃ駄目だろ」

 ベルは片眼鏡を外す。

「王は、最後に責任を負う者だと教えられなかったか」

「教えられた」

「否定するのか」

「言い換える。最後に逃げない者であって、最初から全部を奪う者じゃない」

「責任を奪う?」

「現場が失敗を認め、直す権利まで王が持っていったら、王以外は永遠に子供だ」

 王政史において、賢王は民を守る父と呼ばれた。

 父が何もかも決める国では、民は何歳になっても未成年である。

「では、王子として何をする」

「逃げない。金を出す。記録を開く。権限を減らす。必要なら辞める。でも、辞めることを一番簡単な罰として使わない」

「難しい道だ」

「難しい方が正しいとは思わない。ただ、簡単な方が三年前の判決だった」

 ベルは判決板へ視線を戻す。

「その言葉も公開記録へ入る」

「後で格好つけたって笑われるな」

「笑われても実行すればよい」

「実行できなければ」

「その時は、格好つけたという証拠になる」

「法廷って怖いな」

「いま知ったのか」

「第七、事故後の継続行為」

 イヴァの右手が震える。

「十一回、十三番分類の移送を担当した」

「はい」

「違法と知っていたか」

「最初の三回は、七十二時間の延長と思った。四回目で、終点がないと気づいた。五回目から疑った。七回目で異議を書いた。却下。八回目から乗客へ目的地を聞いた。答えを記録できなかった。十一回目の後、乗務を外れた」

「なぜ四回目で止めなかった」

「止めれば別の車掌が運ぶ。自分が乗れば、水と薬を積めると思った」

「善意を言い訳に」

「している」

 イヴァは言った。

「だから消すな。私は運んだ。薬を積んだことは、運んだことを無くさない。命令に従ったことは、考えなかった理由にならない」

「刑事責任は」

「別審査を受ける」

「旧事故の無罪と交換しない?」

「交換できるものじゃない」

「無罪になりたいか」

「していない罪では」

「したことでは」

「判断を受ける」

 責任と無罪は別である。

 無罪は、善人証明ではない。

 有罪は、全人格の否定ではない。

 法廷が裁くべきは、人間の価値ではなく、具体的な行為と具体的な罪名である。

 それを忘れた時、判決は神話になる。

 最初の停電は、誰も気づかなかった。

 法廷車後方の小さな青灯が消えた。

 二つ目で、テトが帽子を上げる。

「横縞、消灯」

 三つ目。

 ロロの補助手が止まった。

「緊急鎖監視、電圧低下!」

 法廷床が震える。

 証拠車との連結警報が鳴る。

「自動切離しまで二十秒!」

 代訴官が叫ぶ。

「妨害だ!」

「推測するな!」セレナ。

「判決前に証拠車だけ停電した!」

「全鎖網の電圧を確認!」ロロ。

 テトが形状盤を見る。

「法廷区間だけじゃない。北連鎖、二。西、四。下層、三。点滅順が同じじゃない」

「局所妨害なら同時点灯」とエリア。「これは遠方から順に落ちてる」

「原因不明!」ロロ。「でも自動切離しは原因を待たねえ!」

 証拠車の主連結器が開く。

 緊急鎖に全荷重。

 カイルは走った。

 左膝が痛む。

 背中が引きつる。

 笑う余裕はない。

「盾を!」ハル。

「使う!」

 王盾炎が連結口へ広がる。

 炎ではない。

 黄金の圧力膜。

 切れようとする二両の間へ、壁を作る。

 痛みがカイルの肋骨へ戻る。

 盾は傷を消さない。

 壊れる力を、持ち主へ移す。

「あと何秒!」

「十五!」テト。

「イヴァ、停止!」

 カイルは叫んでから、言葉を飲む。

 また一人へ命じた。

 イヴァの手が運転盤の上で止まっている。

「私一人の停止権は封じられてる」

「緊急だ!」

「だから、誰が承認する!」

 カイルの盾へ亀裂が走る。

 いま一人で決めれば速い。

 速いから正しいとは限らない。

 しかし遅ければ証拠車が落ちる。

「技術!」ロロが叫ぶ。「緊急減速、現速度の三割! 完全停止は管轄喪失、禁止!」

「救難!」ティア。「証拠車内、生存者なし。落下先に下層集落あり。切離し不可。減速同意!」

「法廷!」ベルが鐘を打つ。「証拠保全および下層生命保護のため、三割減速を承認!」

「三者確認」とイヴァ。

 右手が震える。

 左手で押さえない。

「次の速度は、三割」

 制動輪を回す。

 列車が咆哮した。

 カイルの盾へ、減速荷重が集中する。

「ぐっ……!」

「カイル!」ハル。

「来るな、左肩!」

「右で行く!」

 ハルが盾の下へ入り、物理楔を押す。

 エリアの槍が荷重線を床へ逃がす。

 ロロの補助手二本が緊急鎖を巻き、一本が解除機へ、一本が圧力計へ。

「ティア、号令!」

「基準、法廷車後端零! ハル、車体右二・現在下四、楔保持! エリア、車体左三、荷重を旧床へ! 復唱!」

「右二・現在下四、楔!」

「左三、旧床へ!」

「テト、形状反復!」

 三角。

 格子。

 二本線。

 雷鳴で声が消えても、形は残る。

「十二秒!」

 証拠車が下へ――いや、現在下へ落ちる。

 黄金の盾が伸びる。

 カイルの右肩が外れそうになる。

 肋骨の古傷が熱い。

 王は責任を取る。

 その古い教えが、身体の中で囁く。

 全部持て。

 一人で支えろ。

 落とすな。

 だが、それは美しい破滅である。

「支えてくれ!」

 カイルは叫んだ。

 王子が、命令ではなく助けを求める。

 ハルが押す。

 エリアが線を変える。

 ロロが巻く。

 ティアが位置を共有する。

 テトが形で伝える。

 イヴァが速度を落とす。

 ベルが法的根拠を鐘で固定する。

 盾は一人のものだ。

 支える理由は、全員のものになる。

「八秒!」

「自動切離し制御へ手動鍵!」ロロ。

「鍵が逆さ!」ハル。

「車体下基準!」

「今の下は!」

「言っただろ車体下!」

「方向が多い!」

「だから番号見ろ! 白格子!」

 テトが白格子札を高く上げる。

 ハルの右手が鍵へ届く。

「回す!」

「反時計!」

「どっちから見て!」

「車外側!」

「俺、車内!」

「じゃ逆!」

「命令を改善して!」

「鍵軸番号一から二へ!」ティア。

「それなら分かる!」

 ハルが一から二へ回す。

 解除機が止まる。

「三秒!」

 ロロが緊急鎖へ最後の留め輪を打つ。

「固定!」

 自動切離しの刃が落ちた。

 留め輪の手前で止まる。

 証拠車は切れない。

 その代わり、法廷列車全体が大きく横へ振られた。

 カイルの盾が砕ける。

 彼は床へ転がった。

 右腕が痺れる。

 息が入らない。

 サナが膝をつく。

「肋骨、再損傷の可能性。動くな」

「判決が」

「口は動く」

「政治家として必要なの、そこだけ?」

「たいていそうだ」

 冗談を言えた。

 恐怖が少し下がった証拠である。

 証拠車は残った。

 だが、青灯は戻らない。

 ロロが全鎖網の受信盤へ駆ける。

「停電区画、増加」

「何区画」とベル。

「数えられねえ。同期してない。北が三、東が七、西が四、下層が五……待て」

 灯がまた一つ消える。

 別の場所。

 さらに一つ。

「同時じゃない」とエリア。

「波みたいに広がってる」とハル。

「原因は」と代訴官。

「不明!」ロロ。

「判決への攻撃か」

「不明と言った!」

 セレナが、停電時刻を記録する。

 推測を付けない。

 ベルが判決鐘を見る。

「残り三十一分」

「法廷を止めれば」とハル。

「管轄を失う」とベル。

「走れば鎖へ負担」

「それでも判決を出す」

 カイルは床に横たわったまま、七枚の責任板を見る。

「判決前に、一つ確認」

「何だ」とベル。

「証拠車を救った行為を、誰か一人の功績にするな」

「王盾炎を使ったのはおまえだ」

「だからって、俺が救ったことにするな。俺一人なら、盾ごと落ちた」

 責任だけでなく、功績も分けなければならない。

 英雄一人の物語は、共犯者を隠すのと同じ仕組みで、協力者を隠す。

 ベルは頷いた。

「記録せよ」

 セレナの羽根札が動く。

 法廷の窓の外で、遠い鎖の灯が三つ、同時に消えた。

 今度こそ、全員が見た。