第501話 第十一章「千鎖をつなぎ直さない」前編

復旧という言葉には、帰郷に似た響きがある。

 壊れる前へ帰る。

 失う前へ帰る。

 間違える前へ帰る。

 人は帰る場所を必要とする。

 だから、復旧という言葉を疑うのは難しい。

 だが壊れる前の家に、すでにひびがあったなら。

 失う前の制度が、誰かを数えていなかったなら。

 間違える前と呼ぶ時代に、別の誰かはずっと間違われていたなら。

 元へ戻ることは、救いではなく再発である。

 雷鎖環ガルドの千本の鎖は、百年かけて一つの網になった。

 橋。

 鉄道。

 通信。

 電力。

 重力固定。

 全てを同じ骨へ載せた。

 千鎖をつなぎ直せば、明日の朝には列車が走るかもしれない。

 そして次に一本が暗くなった時、また全域が同じ順番で落ちる。

 イヴァ・レイルが目を開けると、中央管制席が目の前にあった。

 運行車ではない。

 中央駅機関部。

 いつ移された、と考える前に、彼女は自分の身体を確認する。

 背中。

 座席へ完全に預けている。

 右手。

 震え、軽い。

 左耳。

 遠い。

 心拍。

 一。

 二。

 三。

 四。

 一つ抜ける。

「意識」とサナ。

 赤い手袋。

 閉じた機関室が苦手な彼女は、扉を全開にしている。

「ある」

「胸痛」

「なし」

「息」

「会話可」

「運行判断」

「まだ外れる」

「受領」

「なぜ中央」

「運行車を中央外輪へつないだ。お前が目を覚ました時、勝手に全域へ戻らないよう、目の前へ全域を置いた」

「逆では」

「誘惑を見せる治療」

「医療ではない」

「私の専門外」

 中央管制席。

 半円の窓。

 千本の鎖表示。

 千の停止鍵。

 千の時刻脈。

 暗い。

 それでも、席へ座れば残存線の全てを見られる。

 見える範囲だけ。

 見えない地域を「応答なし」と表示する席。

「座らない」イヴァ。

「今、座ってる」

「管制席へは」

「それでいい」

 サナは水を差し出す。

 イヴァは発車時刻まで飲まない癖で、一瞬待つ。

「飲め」

「時刻」

「身体が発車する」

「比喩が下手」

「医者だから」

 飲む。

 機関部中央に、旧式の立体図が浮かんでいる。

 七つの主要路。

 多数の保留路。

 四十八の地域小網。

 中央駅は、まだ螺旋落下中。

「速度」

「一分で十一メートル。最初の三分の一」とサナ。

「止まっていない」

「止める案が来た」

 中央機関士たち。

 ロロ。

 オルサ。

 エリア。

 カイル。

 セレナ。

 全員が長机の周りにいる。

 ハルは窓外の橋桁で索を結んでいる。

 ノクスは管制席の下。

 二本の尾を、席と出口へ別々に向ける。

「何の案」イヴァ。

 中央機関士が、古い図を開く。

「千鎖復旧」

 文字。

 美しい。

 中央から千方向へ伸びる、完全な放射網。

「残存鎖を仮線でつなぐ。断線部は列車橋と自由港索。天雷錨の固定力を中央へ戻せば、全域の重力を一括安定できる」

「天雷錨は」

「中央駅の下。古い固定核」

「起動できる?」

「王家印、主任車掌印、中央機関印。三つ」

「主任車掌」

「あなた」

 イヴァの右手が震える。

「違う」

「資格停止は再審で」

「自動復帰ではない」セレナ。

「緊急時です」

「緊急時だから肩書を戻し、事故後に責任を個人へ置く?」

「誰かが操作しなければ中央駅が落ちる」

「操作資格を持つ者が」

「イヴァしかいない」と機関士。

 その言葉は、褒め言葉の形をしている。

 英雄視。

 一人しかいない。

 あなただけ。

 全員を救える。

 断れば、全員が落ちる。

 選択肢が一つしかない時、称賛は命令である。

「他の案」とイヴァ。

「地域小網のまま中央を支える」エリア。

「成功率」

「数値化できない」

「千鎖復旧は」

「過去運用上、高い」中央機関士。

「再発率」ロロ。

「復旧後に改修」

「いつ」

「安定後」

「安定した制度は変わらない」とオルサ。

「政治判断です」

「災害で命を救うのが先」

「その通り」とサナ。

 全員が彼女を見る。

「千鎖復旧へ賛成?」ハルが窓から入ってくる。

「選択肢から消すなと言った」

「でも」

「今すぐ最も多く救える可能性があるなら検討する」

「また中央へ」

「再発を避けるため今死なせるのは違う」

「元へ戻すと次に」

「次の死者も嫌だ。今の死者も嫌だ」

「二つ欲しい」

「医者は欲張りだ」

 サナは簡単な正義へ逃げない。

 分散が美しいから、今の救命確率を無視しない。

「比較」とセレナ。

「千鎖復旧案。必要時間」

「最短二十七分」中央機関士。

「中央駅が危険高度へ」

「十九分」エリア。

「間に合わない」とハル。

「天雷錨を部分起動すれば、落下を十五分遅らせる」

「部分起動の印」

「同じ三印」

「イヴァ」

「まだ運行判断外」とサナ。

「身体が戻るまで」

「最短十分。戻る保証なし」

「他案」

「地域小網案」とロロ。

 黄色い上着は煤だらけ。

 右レンズは磨かれている。

 呼吸は一文で一回。

「全鎖をつながない。残存線を、最大十二本の小網へ分ける。電力、通信、重力を同じ鎖へ全部戻さない。地域間は手動接続点」

「必要時間」

「中央駅の落下を止めるだけなら十八分」

「一分差」とセレナ。

「完全安定」

「一刻以上」

「失敗」

「一地域ずつ落ちる可能性。全域同時は減る」

「今、一地域が落ちたら」サナ。

「救難路を残す」

「中央駅」

「七方向牽引と、列車橋を輪にして支える」

「橋をまた使う」

「橋は用途を一つに固定しない」

「元の橋は」

「代替船を置く。費用」

「王家」とカイル。

「基金」とミラの銅旗。

「中央運行局」と機関士が、苦い顔で加える。

「成立」とロロ。

「まだ案です」セレナ。

 比較表。

 千鎖復旧。

 短期安定、高。

 必要時間、二十七分。

 部分起動が間に合えば可能。

 中央操作、三印。

 全域再連結。

 将来の連鎖危険、高。

 地方停止権、一時返納。

 地域小網。

 短期安定、不明。

 必要時間、十八分。

 七方向牽引と手動作業。

 中央操作、不要または限定。

 全域再連結なし。

 将来の連鎖危険、局所化。

 地方停止権、維持。

「数字なら千鎖」と中央機関士。

「不明をゼロとしてない?」ハル。

「していない」セレナ。

「高いは、過去の平常運用」エリア。「断線中の仮線で同じ信頼度はない」

「修正」

「千鎖復旧の短期安定、中から高。仮線故障率不明」

「地域案も」

「不明」

「両方不明」とハル。

「程度が違う」

「じゃ一つに決める?」

 イヴァは、比較表を見る。

 車掌なら時刻を決める。

 全員の意見を待てない。

「第三案」

「何」とロロ。

「千鎖復旧の部品を、地域小網へ使う」

「意味」

「天雷錨の部分起動だけ。中央へ全権を戻さない」

「三印が必要」

「主任車掌印を分割する」

「できない」中央機関士。

「規格上?」

「一印です」

「物理的に」

「鍵は一本」

「切る」とオルサ。

「王家基幹鍵を?」

「分けられないなら、分ける」

「認証が死ぬ」

「ロロ」

「複製は無理。印の星脈が一つ」

「地域印を直列ではなく並列へ」エリア。

「どうやって」

「中央主任印を、権限印ではなく確認印へ下げる。地域側の七印が、それぞれ自分の牽引条件を受け入れた時だけ部分起動」

「規格変更」

「時間」

「手で線を引き直す」とロロ。

「本来動作」

「リメイクを使えば一印へ戻る。使わない」

「また手作業」

「説明書を残す」

「成功率」

「不明」

 サナが舌先を上顎へ押しつける。

 緊張の癖。

「今の命を守る力を、将来の制度へも使う案」

「欲張り」とハル。

「医者だから」

「それ、理由になる?」

「ならない。選ぶ材料」

 誰が選ぶ。

 中央駅の住民。

 機関士。

 地域側。

 列車乗客。

 全員投票の時間はない。

「選択肢を狭める」とカイル。

 王太子の現場指揮権終了まで、残り三分。

「千鎖全面復旧、地域小網、部分起動併用。三つ」

「選ぶ者」

「各地域は、自分の鎖を全面復旧へ渡すか。中央駅は、地域切断権付きの牽引を受けるか。天雷錨の部分起動は、七地域印と中央確認印」

「全域一票ではない」

「それぞれ自分の範囲」

「中央が地域案を拒否したら」

「中央駅は別案を選ぶ。地域を強制しない」

「落ちる」

「選択肢の結果を隠さない」

「王太子は」

「提案者。時間切れ後は一票も持たない」

「王家印」

「天雷錨の確認へ必要なら、機械的に使う。行き先は決めない」

「終了まで一分」とセレナ。

 カイルは、中央駅へ放送する。

「俺の現場指揮は、一分で終わる」

「中央駅の人々へ。三案を提示する」

「全面復旧。地域小網。部分起動併用」

「全面復旧へ同意する地域だけで、全域は作れない。地域小網を中央が拒否すれば、七方向牽引は切れる。部分起動には、中央も地方も切断権を持つ」

「時間がないから、誰か一人へ全部渡す案は選ばない」

「俺の権限も、今、終わる」

 テトが時刻を読む。

「第六雷刻、零分」

 王盾炎の指揮印が消える。

 付属命令は残る。

 カイルは王太子のまま。

 現場指揮官ではなくなる。

「次は」とハル。

「助ける」とカイル。

「命令じゃなく」

「盾を持つ一人として」

「どこ」

「中央駅外輪。落下物を止める」

「身体」

「肋骨、痛み四。背中三。左膝三」

「サナ」

「王盾は小さく。連続十拍。休止五拍」

「受領」

「本人が」

「選ぶ。やる」

「受領」

 権力が切れた後も、仕事は残る。

 地域側へ、三案が届く。

 通信はない。

 反射鏡。

 旗。

 列車走者。

 分割切符。

 返答は一括しない。

 病院地域。

『全面復旧へ鎖を渡さない。部分起動併用』

 工場地域。

『小網。中央へ一刻の牽引』

 学校車。

『子供を一票へまとめない。機能として小網参加。中央牽引は手回し可能範囲』

 自由港。

『王国網へ加入しない。救難索のみ一刻貸与。切断権は船長会』

 ナミル。

『三群それぞれ。二群併用、一群不参加』

 保留路。

『決めない。牽引しない』

 中央法廷。

『併用。監査条件』

 全部違う。

「全員賛成じゃない」と中央機関士。

「全員を一つへ数えない案」とイヴァ。

「天雷錨は七印を要求」

「参加する七地域。全域代表ではないと明示」

「不参加地域は」

「小網で独立」

「中央を支えない」

「支える義務はない」

「中央が落ちれば影響」

「影響を示し、再確認。強制しない」

 中央駅の住民投票。

 全面復旧、三割。

 地域小網、一割。

 併用、五割。

 保留、一割。

「多数は併用」と機関士。

「保留を賛成に足さない」イヴァ。

「それでも五割が最大」

「採用条件」

「過半数」

「届かない」

「落下まで十一分」

「再投票?」

「時間がない」

 サナが言う。

「身体的に待てない」

「医療代理?」ハル。

「町へは使わない」

「じゃ」

「安全上実行可能な案を先に使い、選び直せる状態へ戻す。中央駅を救命する一時代理。期限を付ける」

「誰が代理」

「一人ではない。中央機関、地域参加者、法廷監査」

「保留者」

「避難路を残す。決定後も異議」

「強制」

「そうだ」サナ。

 彼女は逃げない。

「落下を止めるため、併用案を一刻だけ実行する。終わったら返す。私も監査される」

「医者が決める?」

「救命上の期限だけを示す。法的代理はセレナ。構造はロロと機関部。運行は地域」

「選択肢を狭める者と選ぶ者」

「完全には分けられない」とセレナ。「だから重なりを記録する」

 きれいではない。

 命を守るための一時強制。

 強制を隠して同意と呼ばない。

「一刻」と中央機関士。

「終了後、自動で全面復旧へ移行しない」イヴァ。

「受領」

 作業開始。

 中央主任鍵を分解する。

 オルサがレンチを掛ける。

「王家基幹設備を壊す」と政府代理人。

「記録」とセレナ。

「止めない?」

「緊急転用付属命令の範囲。異議は残す」

「私は反対」

「署名を」

 政府代理人は署名する。

 反対しながら、作業灯を持つ。

 人は、賛成した仕事だけをするわけではない。

「右へ二」とロロ。

「基準」オルサ。

「鍵穴正面から時計回り!」

「時計が反転中」

「お前の右手側!」

「最初から」

「今言った!」

 主任鍵の外環を外す。

 中央の星脈線。

 一本。

「切ると認証死ぬ」と機関士。

「切らない」とロロ。

「七つへ」

「枝を作る。元線は確認だけ」

「星脈線を分岐」

「王獣鈴の共鳴枝を使う」とエリア。

 第二天鍵の力そのものを使うのではない。

 翠獣環で得た、異なる拍を異なるまま伝える技術を、器具へ応用する。

「双界鏡の位相板」とセレナ。

 第三天鍵の共同保管から、持ち出し許可を得た小型複製板。

 幻像ではない。

 七地域の入力を混ぜず表示する。

「天鍵、全部使う?」ハル。

「本体じゃない。旅で学んだ技術」とエリア。

「過去巻のご褒美」

「また巻」

「今のなし」

 七枝。

 病院。

 工場。

 学校。

 自由港。

 ナミル二群。

 法廷。

 七つ。

 参加しない地域を代表したとは書かない。