第784話 第八章「手作り方位具」後編
二分後。
「続ける」とハル。
「理由」とロロ。
「知りたい。でも、知りたいだけで急がせない」
「採用」
「成長採点!」
「修理許可!」
針を木片から外す。
磁性は弱い。
北へ向く力より、瓶蓋の傾きと糸の張りに影響される。
「壊れてる?」カイル。
「最初から精密方位具じゃない」とロロ。
瓶蓋の内側に、八方向の傷。
傷は均等ではない。
海の方角へ三本。
店の方角へ二本。
母と書かれた方へ、深い一本。
残り二本は浅い。
「方向の使用回数」とセレナ。
「同じ場所で何度も回した」とロロ。
「傷の深さが、選んだ回数?」ハル。
「針の先が当たった回数。選んだか、止まっただけかは別」
「でも、母さんの方が深い」
「嬉しい?」エリア。
「……嬉しい。証拠と感情は別」
「今、自分で言った」
「セレナに鍛えられた」
「本人を褒めて」とカイル。
「そこだけ連帯するな」セレナ。
ロロは、同じ重さの針と木片で模型を作る。
瓶蓋へ水を張る。
鉄を遠ざける。
「回して」と彼。
ハルが指で針を回す。
止まる。
北ではない。
木片の厚い側へ。
「磁力より重心」とロロ。
「壊れた方位磁針」とカイル。
「最初から方角測定器として作ってない」
「じゃあ、何を測る」
「回した人の顔」とアムナ。
「顔?」
「止まった方向を見た時、嫌か、嬉しいか」
ハルの記憶に、配送店の床が戻る。
雨の日。
荷物の箱。
母ナツミの手。
『どっちへ配る?』
『海』
『雨が強い』
『じゃあ店』
『店へ戻ると、海の荷物は遅れる』
『どうしたらいいの』
『一人で決めない。店へ電話する』
子供のハルは、道を当てることより、困った時に連絡することを教わった。
ソウジは、その家の遊びへ、自分の方位器を足した。
『針が決めるんじゃない。針の答えを嫌だと思ったら、君の答えが分かる』
父の声。
母の教えと似ている。
似ているから、ハルは信用した。
「父さん、母さんのやり方を使った」とハル。
「共同で作った?」カイル。
「母さんが、この用途を知ってたかは分からない」
「材料は店の物」とセレナ。
「持ち出しの同意は未確認」
「家族の物を使うと、家族の同意まで借りた気になる」とアムナ。
ソウジは、赤糸を見ればナツミの店を思い出しただろう。
ハルも安心した。
安心させる材料を使ったことと、危険を説明したことは同じではない。
「玩具が優しいから、連れてきたことまで優しく見える」とハル。
「分ける」とセレナ。
「方位具は、迷った子へ選び直しを教える道具。連行手続は、説明不足。両方」
「両方って便利な言葉」
「便利に使うと責任がぼやけます。だから行為ごと」
「作った行為。連れてきた行為。忘れさせた行為」
「別々」
ハルは模型の針をもう一度回す。
今度は、出口を指す。
「帰る?」エリア。
「今は帰らない」
「針へ逆らった」
「嫌じゃなかったけど、まだ知りたい」
「なら、道具は働いた」アムナ。
「指示に従わせないことで?」
「選んだことを言葉にした」
木片の表面には、肉眼で見えない細い溝があった。
セレナの単眼鏡は外へ置いたため、ロロが水滴を落とす。
水が溝へ沿って流れる。
八方向の傷のうち、一本だけ中央へ戻る。
「帰り線」とロロ。
「どこへ行っても中央へ?」
「違う。針を回した後、木片を元の向きへ戻すための目印」
「遊びを終わらせる線」とアムナ。
「終了条件がある」ハル。
「片付け方まで道具」とセレナ。
ソウジは、子供の遊びに終了線を付けた。
その男が、アステリアで自分の計画には終了時刻を付けなかった。
「知ってたのに」とハル。
「何を」
「終わらせ方が必要って」
父の悪さは、知らなかったことだけではない。
他人へ教えられることを、自分には適用しなかったことでもある。
怒りが、少し具体的になる。
具体的な怒りは、ただ嫌うより長く扱える。
外の歴史版がぶつかり、証拠台が揺れた。
透明箱の蓋が落ちかける。
ハルの身体が先に出る。
左手。
左肩。
全体重を掛ける寸前、止まる。
「箱!」
「俺が!」ロロ。
補助腕が蓋を受ける。
エリアがハルの腰索を引く。
「肩」
「二。動かしてない」
「身体は動いた」
「止めた」
「記録」セレナ。
「今回はして!」
ハルは自分から言う。
「証拠を守ろうとして左肩へ行きかけた。途中で役割を呼んだ」
ロロが蓋を戻す。
「俺の役割を盗るな。修理代が減る」
「助けたのに請求」
「助けたから請求!」
軽口の間に、呼吸が戻る。
過去を知る現場で、昔の癖を直す。
それは過去を書き換えない。
現在の続きを変える。
瓶蓋の内側に残った八方向は、正解の方角ではなかった。
選ばなかった方向も残る。
迷った回数も残る。
中央へ戻して遊びを終えた線も残る。
零星針は、探すものを指す。
この方位具は、指された先を自分が望むか問う。
似ていない。
だからこそ、ソウジが零星針の模造としてではなく、子供へ渡す別の道具として作ったことが分かる。
瓶蓋の内側に、八方向の傷。
東西南北ではない。
子供が針を回し、止まった方向へ印を付けた跡。
「遊び」とハル。
記憶が、言葉より先に指へ戻る。
針を回す。
止まった方向を指す。
『こっちへ帰る』
男の声。
『それでいいのか』
低い、温かい声。
ソウジ。
『ちがう』
幼い自分。
『じゃあ、もう一度回せ』
『ずるじゃん』
『嫌だと思ったなら、もう方向を知ってる』
完全な映像ではない。
声の順も確かではない。
今の自分が意味を補っている可能性もある。
「記憶」とハル。
「内容」とセレナ。
彼は話す。
一語ずつ。
セレナは、記憶として記す。
事実欄へ入れない。
「零星針の模造じゃない」とエリア。
「星のない子供が、自分で帰る方向を決める玩具」とアムナ。
「決めるっていうか、嫌な方向を知る玩具」ハル。
「選択の反応を見る」
「父さんらしい」
また呼んだ。
今度は、自分で気づいても直さない。
方位具の赤い糸を外すと、木片の端に白い粉が残っていた。
「歴史都市の漆喰」とロロ。
「八室迷宮で付いた可能性」とセレナ。
「層が下」とアムナ。「赤い糸を結ぶ前から」
方位具は、この街で一度使われた。
その後、八室迷宮へ移された。
ハルの指が、空中で針を回す。
止まる方向。
白い手。
自分より少し大きい、細い指。
爪の際へ黒い砂。
その手が、幼いハルの右手へ重なる。
『君は、帰る方を選べるんだね』
少年の声。
羨ましいのか。
怒っているのか。
分からない。
白い髪。
黒い瞳。
映像はそこまでで切れる。
「見えた」とハル。
「誰」とエリア。
「分からない。でも、手が白かった。指に黒い砂」
アムナは名前を言わない。
証拠がまだ、手と名を結んでいない。
透明箱の中で、方位具の針が一度だけ回る。
磁気ではない。
床が傾いただけである。
それでも針は、中央の低い通路を指した。
白い少年の手が待つ方へ。