第836話 第十章「七天鍵を返す」後編

【第七の天鍵/終端環・空冠要塞】

 空冠は、王冠ではなかった。

 七つの空を一つへ支配する輪でもない。

 もとは、空域間の荷重が偏った時、各地の応答を待つ回転架だった。

 待つための機関を、戦時中の王家が命令機関へ変えた。

 アムナは空冠の中央銘板を外す。

『最終決定者――王家』

 下から古い文字。

『応答待ち――空席』

「王家の銘板を捨てる?」カイル。

「記録庫へ」とセレナ。「破壊すると、なかったことになる」

「展示する?」

「被害記録と一緒に。称賛の額へ入れない」

「父上の肖像の隣は」

「別室」

「母上は喜ぶかも」

「家庭事情を」

「入れない、分かってる」

 アムナは空冠の七回転鍵を分ける。

 終端環の住民。

 無名者の通路守。

 機関士。

 記録守。

 外部地域。

 地球側未参加枠。

 異議・停止。

「私はどれ」とアムナ。

「記録守」とハル。

「それだけ?」

「嫌?」

「名前を覚える役と、回転を決める役を同じにしない」

「じゃあ記録だけ」

「うん」

 ネイが、終端側の鍵へ今日の名を使わず、靴紐の結び目を置く。

『名が要るのは、誰?』

 ウルは物語の一節だけを渡す。

 全部の歴史を中央へ送らない。

 空冠の回転鍵が、七地点へ分かれる。

 アザルの黒い座が、中央決定者を失う。

 空冠の輪が開く。

 第七の鍵は、王家と器の頭上から、終端環の複数の手へ戻った。

【七鍵返還・遅延区間/各地の最初の七拍】

 魔法が戻る時、人々は歓声を上げなかった。

 戻った力は、以前と同じ形ではなかったからである。

 学院の外壁で、ティアの足裏へ摩擦を固定する術が戻る。

 右膝が抜けても、石壁へ立てる。

 以前なら、そのまま指揮席へ戻った。

「グランツ救難士、立てます!」

「立てる」とティア。

「では指揮を」

「現在指揮者は別です」

「でも最も見える位置へ」

「観測役として上がる。命令権は戻さない」

 ティアは足裏を七拍だけ固定する。

 高い壁へ立ち、崩落線を読む。

 七拍後、自分から術を切る。

「もう七拍!」生徒。

「継続鍵」

 現場指揮者と、壁下の利用者が鐘を鳴らす。

 ティア自身は延長を決めない。

 力が戻っても、権限は戻らない。

 自由港で、ミラの風術が戻る。

 風から運動量を盗み、別の船へ渡せる。

 無札桟橋を救うには便利過ぎる力だった。

「全部の沈下を止めろ!」港会議。

「全部は無理」

「以前はできた!」

「以前は盗んだ勢いを、別の弱い船へ押しつけた」

「今回は海へ捨てれば」

「海は地球側とつながってる。向こうの防波堤へ波が行く」

「では空へ」

「雷鎖環へ抜ける」

 力は消えない。

 移る。

 ミラは沈む共同炊事船から、落下速度の一部だけを盗む。

 全てではない。

 残った速度は索と人力で受ける。

「もっと盗め!」ジル。

「受け先がない!」

「俺の船へ!」

「沈む!」

「沈まない範囲!」

「その範囲を誰が」

 パルが費用板の裏へ、各船の現在余力を書く。

「ここまで。超えたら拒否」

 ミラはパルの線より先へ力を送らない。

 魔法の上限を、術者の自信ではなく、受ける側の条件が決める。

 翠獣環で、ガンガの聴覚が戻る。

 七群れの鼓動。

 病獣。

 幼獣。

 岩盤。

 水脈。

 すべてが一度に胸へ入る。

 ガンガは膝をついた。

「兄!」

「聞こえる」

「全部聞くな」

「戻ったから」

「戻った力を、全部使う義務ない」

 ネムが王獣小鈴の一つを布で包む。

 東群れだけをガンガから外す。

「東は私」

「聞ける?」

「聞く。決めない」

 ガンガは六群れも聞かない。

 南と西だけ。

 北はハダン。

 残りは各群れの拍番。

 王の聴覚は、分担された耳へ戻る。

 鏡砂環で、ユノの幻像が戻る。

 白階市の上空へ、安全路を一枚描けば、千人をすぐ動かせる。

「早く!」

 ユノは弓を上げる。

 描かない。

 まず、像の縁を出す。

 黄――予測。

 作成時刻。

 有効期限。

 欠落。

 表示者。

 その表示を出す間に、一人が転ぶ。

「表示より道を!」

 リゼが倒れた人へ走る。

「道を描く。黄縁のまま」とユノ。

 一本ではなく三本。

 太さを同じにする。

 見ない者のため、地面の紐も残す。

 幻は速い。

 正しく見せる準備は遅い。

 その遅さで一人が負傷したことも、記録から消さない。

 雷鎖環で、イヴァの停止術が戻る。

 中央から逸脱車へ砲弾が来る。

 止めれば救える。

 イヴァは手を上げる。

 止めない。

「なぜ!」テト。

「砲弾を止めた場所へ、後続車が入る」

「じゃあどうする!」

「三十秒の緊急停止鍵を、後続車へ渡す」

 利用者側が鍵を回す。

 地域側が停車幅を決める。

 イヴァは砲弾ではなく、後続列車を止める。

 砲弾は空いた線路を通過し、無人の旧塔へ当たる。

 力の向きを、敵へではなく味方の事故防止へ使う。

 夢灯環で、ソムナは共有夢へ入れるようになる。

 強制睡眠へ巻き込まれた患者の声が、扉の向こうから呼ぶ。

『来て』

「本人の声?」メイ。

「分からない。夢網の誘導かもしれない」

「入る?」

「患者鍵を確認」

 紙芯には、夢への介入拒否。

 身体危機時も、内容を見ない。

「入らない」

「呼ばれている」

「呼び声の真偽が未確認。本人の事前拒否は確認済み」

 ソムナは夢へ入らず、現実側で呼吸を支える。

 治せる力を使わないことは、何もしないことではない。

 逆潮環で、ニアの断機が戻る。

 一振りで中央請求線を切れる。

 彼女は手を動かさない。

 エメ、バズ、タラの三鍵がそろうまで待つ。

 待つ間に小水門がもう一つ軋む。

「今なら私一人で」

『駄目』

 エメの打音。

『必要とする。だが、一人へ戻さない。』

 ニアは待つ。

 五秒。

 十秒。

 三鍵成立。

 断機を使わず、三者水門の物理弁だけで請求線を閉じる。

「術は」とロロ。

「使わない」

「戻ったのに」

「戻ったから、使わない選択ができる」

 終端環で、アムナには戻る術がない。

 最初から、誓星術を持たない。

 周囲の記録灯が点き、名を検索できるようになる。

 人々は彼女へ聞く。

「中央台帳へ戻す?」

「戻さない」

「魔法が復旧したのに」

「魔法が使えることと、使う範囲は別」

 アムナは紙と結び目を残す。

 速い検索を、本人が許可した用途だけへ開く。

 術のない少女が、戻った魔法の境界を決める。

 七つの鍵は、力を返した。

 同時に、使わない権利まで返した。

【現実/ゼロスター号・中央機関/七鍵返還後】

 七つの小さな光が、世界の各地で点いた。

 中央へ集まらない。

 一本の柱にならない。

 王獣鈴は七つの異なる拍。

 双界鏡は複数の枠。

 天雷錨は四十八の停車灯。

 夢灯籠は患者ごとの灯と消灯。

 潮骨笛は六条件。

 空冠は七回転鍵。

 零星針は八つの指掛かりと中央空白。

 誓星術が戻り始める。

 完全ではない。

 地域ごとに、使える範囲が違う。

 終了時刻が来れば消える。

 本人が拒否すれば届かない。

 監査鍵が欠ければ止まる。

 不便な魔法。

 人間を器にしないための、不便さ。

 ソウジの白い受容架から、針が抜けた。

 一本。

 二本。

 三本。

 彼の身体が前へ落ちる。

「ソウジ!」

 ハルが走る。

 一、二。

 三の前に、カイルへ言う。

「頼む!」

「任せろ!」

 カイルが左腕で受け、ハルは右側を支える。

 左肩へ全荷重を入れない。

 ソウジの呼吸。

 ある。

 脈。

 速い。

 星晶義手の接続口は焼けているが、白い光は皮膚下から消える。

「父さん」

 呼び方が漏れた。

 ソウジの目が開く。

「今の」

「聞いてない」

「記録」

「するな!」ハル。

「本人希望」とセレナ。「非公開欄」

「消して!」

「訂正ではなく封印を選べます」

「じゃあ封印!」

 ソウジが、痛みの中で笑いかける。

「笑うな」

「うん」

「うんで済ませるな」

「あとで」

「終了時刻」

「逃げない」

「時間で言え」

「世界が安定した後、最初の聴取」

「母さんにも」

「……うん」

「それ、同意?」

「今、同意する」

「撤回するなら連絡」

「分かった」

 アザルの黒い座も割れる。

 千年分の破約が、一度に消えるわけではない。

 各地の小網へ、期限と変更手続きのある負担として分かれていく。

 黒い液体が彼の身体から引く。

 髪。

 皮膚。

 瞳。

 王でも器でもない、一人の青年の輪郭。

 彼は床へ倒れない。

 倒れ方を知らないように、座ったまま傾く。

 アムナが肩へ触れない。

 先に聞く。

「支えていい?」

「分からない」

「保留?」

「今は、床へ」

「自分で?」

「できると思う」

 アザルは両手をつき、ゆっくり床へ横になる。

 脈がある。

 一定ではない。

 有限の脈。

「終わった?」ハル。

「器接続は」とニア。「世界の破約流出は続いている」

「アザルは」

「受容体ではなくなった。身体状態、不明」

 アザルが薄く目を開く。

「眠っていい?」

「時間」とアムナ。

「空が一度、止まるまで」

「短い」

「では、次に名前を聞かれるまで」

「長い」

「眠る時間も、選び直す?」

 ソムナの札が一拍鳴る。

『眠りは治療ではない。

 本人の希望。

 覚醒条件を複数へ。』

 アムナは記録する。

『アザル

 現在役割――なし

 睡眠希望

 覚醒確認――一時間、四時間、本人反応

 夢内容――本人許可なく閲覧しない

 責任聴取――判断能力回復後

 被害者性と加害責任を相殺しない』

「長い」とアザル。

「短くすると、また器になる」

「なら、長くていい」

 空冠の外へ、巨大な星白の輪郭が現れた。

 初代誓約竜オルド。

 七地点へ分かれた七つの心核が、空を横切る。

 鳥、竜、帆船を重ねた長い身体。

 翼膜には誓文ではなく、空白の枠。

 声が七空域から届く。

『接続解除』

『不完全』

『個体性』

『回復途上』

 ノクスが甲板の前へ出る。

 オルドの巨大な顔が近づく。

 呼ばない。

 触れない。

『自由意志を』

『戻すか』

 ノクスは尾を二本とも立てる。

「ノゥ」

 拒否。

 オルドの七つの瞳が順に閉じる。

『その拒否を』

『今のあなたへ』

『記録する』

『私は』

『回収しない』

 ノクスは一歩だけ近づき、巨大な鼻先の匂いを嗅ぐ。

 触れない。

 戻らない。

 離れもしない。

 関係は、融合だけではない。

 オルドの光体は七空域へ分かれ、各地の小網へ一瞬だけ重力を渡す。

 その力も、七拍で切れる。

 七天鍵は返った。

 ソウジは器から外れた。

 アザルは有限の一人へ戻った。

 それでも、世界は安定しない。

 七つの小網の中央。

 零星針の空白へ、古い命令が残っている。

『破約は中央へ集めよ』

 器はいない。

 命令だけが、次の器を探していた。