うちの天井はもっと高い
熊取谷ひよりが「家」に戻ったのは、事故から二週間後だった。
父は、頭を打ったせいで細かいことを忘れているだけだと言った。けれど玄関へ入った瞬間から、ひよりには何もかも少しずつ違って見えた。
階段は十二段だったはずなのに十一段しかない。台所の蛇口は、お湯と水の向きが逆。廊下につけた身長の線は残っていたが、爪でこすると壁紙ごと剥がれた。線は鉛筆ではなく、印刷だった。
「事故のあと、直したんだよ」
父は何度も同じ説明をした。
母がいない理由を尋ねると、「前から二人暮らしだろう」と笑った。家族写真には父とひよりしか写っていない。ただ、どの写真も表面が妙に平らで、顔の周囲に切り抜いたような縁があった。
夜、窓の外では同じ犬が三度鳴き、同じ車が二度通った。
翌晩も、時刻まで同じだった。
ひよりは寝室の窓を開けようとした。取っ手は動くのに、ガラスは壁へ接着されている。外の町並みだと思っていたものは、大きな写真だった。裏側から白い光を当て、夕方らしく見せている。
そのとき、家全体がわずかに揺れた。
遠くで、トラックが後退するときの電子音が鳴った。
父が寝たあと、ひよりは押入れの天井板を押し上げた。
屋根裏はなかった。銀色の梁と、倉庫の高い天井が見えた。
隣には、同じような家の一部がいくつも並んでいる。青い子ども部屋、花柄の台所、畳の居間。それぞれの扉に、違う子どもの名前が貼られていた。
梁の上には、サイズの違う子どもの靴が何足も並んでいた。
足元に作業用のファイルがあった。
〈熊取谷ひより用・帰宅訓練〉
〈階段十一段で再現〉
〈母親に関する質問には、記憶障害として対応〉
〈外へ出たがる場合、事故の恐怖を反復して伝える〉
最後の頁には、ひよりの本当の家の写真があった。
門の前に母が立ち、警察官へ何かを訴えている。
背後で天井板が閉じた。
「よく気づいたね」
父を名乗る男が、梯子の下で見上げていた。
「次は、天井の高さまで同じに作るよ」
倉庫のシャッターが開き、偽物の朝日が消えた。