お迎えの合言葉
三年生の端山こよりの学校では、児童を迎えに来た人が、登録された合言葉を言わなければ引き渡してもらえない。
こよりの家の合言葉は「金魚のしっぽ」だった。
「知らない人が名前を呼んでも、絶対についていっちゃだめ。先生にも合言葉を確認してもらうのよ」
母は毎朝そう言った。
雨の水曜日、下校時刻に見知らぬ女が校門へ来た。
濡れた髪を頬に貼りつけ、こよりを見るなり泣き出した。
「大きくなったね」
女は、こよりが背中に三日月形のあざを持つことを知っていた。眠るとき左手で耳を触る癖も、幼いころ青い毛布を「うみ」と呼んでいたことも知っていた。
「お母さんなの?」
こよりが尋ねると、女は何度もうなずいた。
担任は引き渡しカードを見た。
「では、合言葉をお願いします」
女の顔から笑みが消えた。
「合言葉なんて、あの人に連れていかれる前はなかったんです」
担任は警備員を呼んだ。
女は連れていかれながら、こよりの昔の名前を叫んだ。聞いたことのない名字だったが、下の名前だけは同じだった。
十分後、母が車で迎えに来た。
「金魚のしっぽ」
正しい合言葉を言い、こよりを抱き締めた。
「あの人は病気なの。あなたを自分の娘だと思い込んでいるのよ」
帰宅すると、母はすぐカーテンを閉め、旅行鞄を出した。
こよりが母の上着を掛けようとすると、ポケットから古い新聞の切り抜きが落ちた。
〈一歳女児、駅構内で連れ去られる〉
記事の写真には、赤ん坊のころのこよりが写っていた。
行方不明者の名は、校門の女が叫んだ名字と同じだった。
目撃された容疑者の似顔絵は、若いころの母にそっくりだった。
「それ、見ちゃったの」
背後で母が言った。
こよりは、新聞と母の顔を見比べた。
「今日の人、本当のお母さんなの?」
母は答えず、切り抜きを細かく破った。
それから旅行鞄へ、こよりの服と新しい名前の健康保険証を詰め始めた。
「先生は、ちゃんと約束を守ってくれたわね」
母は穏やかに笑った。
「次の学校でも、合言葉を決めましょう。今度は、あの人が絶対に知らない言葉にしないと」
窓の外で、パトカーのサイレンが近づいてきた。
母はこよりの手首をつかんだ。
「急いで。九年前みたいに、電車が来る前に見つかったら困るから」