ガラス越しの卒業帽

院内学級の卒業生は、宇田川蕗子と穂積奏太の二人だけだった。

けれど式場に並んだ椅子は一脚だった。移植を待つ奏太は感染を避けるため、隔離室から出られない。校長の祝辞も、担任の涙も、彼には廊下のモニター越しに届いた。

蕗子は卒業証書を受け取ると、先生たちが折り紙で作った角帽をかぶり、そのまま隔離病棟へ向かった。ガラスの向こうで、奏太も同じ帽子を斜めに載せていた。

「似合わないね」

『そっちこそ。頭だけ大学生』

「卒業生です」

『俺も卒業生だよ。病院からは留年だけど』

備え付けの電話から聞こえる声は、少し笑っていた。

二人は一年生の秋に入院し、院内学級で出会った。蕗子が退院しては戻るたび、奏太は窓際の席を取っておいた。普通の高校の文化祭にも修学旅行にも行けなかったが、点滴台で競走し、消灯後に同じラジオを聞き、病室の天井へ進路を書いた。

蕗子は来週、退院する。春からは県外の専門学校へ通う。

奏太の手術日は、まだ決まっていなかった。

『卒業する前に、提出物がある』

「レポートなら代筆しないよ」

『宇田川蕗子が好きです』

冗談を待ったが、奏太は笑わなかった。

『退院して、忙しくなって、俺を思い出す回数が減る前に言いたかった』

「減るって決めないで」

『待ってとは言えない』

「言われても待たない」

『ひどいな』

「学校へ行って、友達を作って、ちゃんと笑う。奏太のために私の春を止めたりしない」

ガラスの向こうで、彼がうなずいた。

蕗子は続けた。

「でも私も、奏太が好き。だから、忘れることもしない」

二人は同時に手を上げた。掌と掌の間には、厚いガラスと、消毒された空気と、退院日の決まった未来と決まらない未来があった。

触れられないまま、奏太が囁く。

『卒業、おめでとう』

「奏太も、おめでとう」

告白をしたからといって、二人の明日が一つになるわけではなかった。

その日、奏太は学校だけを卒業し、蕗子は学校と病院を卒業した。

廊下を去る直前、蕗子が振り返ると、奏太はまだ手を上げていた。

彼女ももう一度手を重ね、それから前を向いた。

別々の春へ進むために交わした、二人だけの卒業証書のようだった。