シャッターの十二秒

 矢代公介は、父の葬儀が終わった夜、古い一眼レフを渡された。

「お父さん、これだけは処分するなって」

 母に言われても、ありがたくはなかった。公介の家族写真には、いつも父がいない。運動会も、入学式も、旅行も、父はレンズの向こう側だった。

 父は家族より写真が好きなのだと、公介は長いあいだ思っていた。

 カメラには撮りかけのフィルムが残っていた。現像店の主人は、機種を見て懐かしそうに笑った。

「セルフタイマー、ずいぶん使い込んでますね。ここまで摩耗するのは珍しい」

 受け取った封筒には、二十三枚の失敗写真が入っていた。

 無人の居間。半分だけ開いた襖。椅子の背。柱時計。

 次の写真では、画面の端に父の袖があった。その次は肩。さらに次は、息を切らして椅子へ向かう父の横顔。病気で足が弱ってから、父は十二秒のうちに自分の席へ着く練習をしていたらしい。

 二十二枚目で、父はようやく椅子に座っていた。だが、向かいの席は空だった。

 その日、公介は見舞いへ行く約束を、仕事を理由に断っていた。

 二十三枚目は、椅子に置かれた紙だけが写っていた。引き伸ばすと、父の字が読めた。

〈撮る側にいると、自分が残らない。気づくのが遅かった。今度はお前が、ちゃんと写れ〉

 翌春、公介は娘の入学式にそのカメラを持っていった。校門の前で、妻と娘を並ばせる。

「お父さんも入って」

 いつもなら「撮る人がいなくなる」と断るところだった。

 公介はカメラを低い塀に置き、セルフタイマーを回した。機械の中で、かすかな音が刻まれる。

 十二、十一、十。

 娘が両手を振る。公介は走った。

 写真には、妻の笑顔と、娘の新しい帽子と、間に合わず画面の端でよろける公介が写った。右肩が少し切れ、目もつぶっている。

 ひどい写真だった。

 それでも公介は、父のどの作品よりも、その一枚を大きく引き伸ばした。

 玄関に飾ると、家族は写真を見るたび笑った。

 十二秒に間に合わなかった二人の父親が、ようやく同じ写真の中にいるような気がした。