ドリンクバーの氷が溶けるまで
壬生川晴臣と羽鳥周が、駅前のファミレスへ入ったのは午後九時だった。
二人とも同じ町で育ち、今は別々の会社に勤めている。会う約束をしても、目的はたいてい決めない。今日も周から届いたのは、〈今からポテト食べない?〉という一文だけだった。
晴臣はブレンドコーヒー、周はメロンソーダをドリンクバーから運んだ。
「三十二歳で、その色を選ぶ?」
「年齢で飲み物の色が濁るわけじゃない」
周はストローで氷を回した。透明な音が、空いた店内へ軽く響く。
注文した山盛りポテトは、最初の十分で半分なくなり、その後は二人ともあまり手を伸ばさなかった。
話したのは、会社の給湯室に新しい電子レンジが入ったこと。近所の橋の下に鳩が増えたこと。小学校の裏門にあったパン屋が、今は整骨院になったこと。
「俺、あそこの揚げパンで前歯抜けた」
「抜けかけを揚げパンのせいにしただけだろ」
「証人いる?」
「俺。隣で見てた」
「じゃあ不利だな」
真面目な相談は一つもなかった。
晴臣は先週、職場で失敗してから眠りが浅かったが、そのことを話すつもりはなかった。周も訊かなかった。ただ、晴臣のコーヒーが空になると、席を立つついでに新しい一杯を置いた。
「濃いやつ」
「眠れなくなる」
「じゃあ牛乳入れてこい」
命令口調なのに、カップからはやわらかな湯気が上がっていた。
十時半、店員がポテトの皿を下げようとした。
「まだ食べます」
周が答え、冷めた一本を取る。
「守るほどのものか?」
「最後の三本になると、急に価値が上がる」
二人は一本ずつ食べ、残りの一本を皿の中央へ置いた。
どちらも欲しくなくて、どちらも譲らない。そうしているうちに、周のソーダの氷が全部溶けた。
会計を割り勘にし、店を出る。
夜風には雨上がりのアスファルトと、厨房から漏れた揚げ油の匂いが混じっていた。
「来週、あの整骨院の前見に行く?」
「何しに」
「元パン屋だった証拠探し」
「たぶん何も残ってないぞ」
「なら、その隣の喫茶店」
晴臣は笑い、駅とは反対の道へ少しだけ一緒に歩いた。
何も解決していない夜だった。それでも胸の奥で固まっていた失敗は、冷めたポテトの塩気ほどの大きさに戻っていた。