ホイッスルの止む前に

転勤用の段ボールを閉じかけたとき、矢代依都は底から金属の笛を拾った。細かな傷の間に、体育館の床をこすったボールの音が戻ってきた。

高校最後の大会で、依都は一度もコートに立てなかった。負けた翌日の部室では、三年生たちがユニフォームを紙袋へ押し込み、泣く者と笑う者に分かれていた。依都はどちらにも入れず、最後までボール籠の車輪を拭いた。

全員が帰ったあと、主将が体育館の鍵を閉めに来た。依都は、入口に立つその影へボールを投げた。

「一本だけ、付き合って」

試合では言えなかった頼みだった。

主将は何も尋ねず、笛をくわえた。銀色の笛が唇に当たり、短い音が鳴る。依都はフリースローラインに立った。膝が震えた。リングは大会の日より近く見えたのに、放った球は縁を叩き、天井の照明を一度映して外れた。

ボールが床を跳ね、遠ざかる。ワックスの匂いが濃い夕方だった。閉められた窓に、二人の制服姿と、空のベンチが重なって映っていた。大会の日には聞こえなかった自分の呼吸が、やけに大きかった。

主将は拾わなかった。依都も追わなかった。やがて球は反対側の壁に当たり、ゆっくり戻ってきて、二人の間で止まった。

「もう一本?」

依都は首を振った。成功するまで続けたら、今日を終えられない気がした。

「ううん。これが最後でいい」

その声を合図に、主将は長く笛を吹いた。試合終了の音だった。体育館の時計は、六時を三分過ぎていた。負けた日の笛より、ずっとやさしく響いた。出口で、主将は笛を外し、依都の掌へ置いた。記念品の代わりらしかった。返す言葉を探す間に、体育館の照明が先に消えた。

現在の部屋で、依都は笛を掌に転がした。大学を出てから同じ支店で働き、頼まれた仕事を外さない人として過ごしてきた。今回の異動は、自分から希望したのに、決まった途端に怖くなった。異動先では、知らない仕事を任される。準備ができてから行きたいと思っていたが、準備が終わる日はたぶん来ない。

彼女は笛を捨てる箱ではなく、旅行鞄の内ポケットへ入れた。段ボールの蓋を閉じ、ガムテープを一息に引く。

うまく入らなかった一球も、連れていける。