ラムネ玉の向こう側
引っ越し用の段ボールの底から、青いガラス玉が転がり出た。
二十七歳の結月は、それを拾った瞬間、指先に十年前の冷たさを思い出した。
高校二年の夏祭り。神社の裏手で、青葉はラムネの瓶を逆さに振っていた。
境内では金魚袋が揺れ、遠くの太鼓が会話の切れ目を埋めていた。二人は毎年同じ場所でラムネを買い、それを来年も続く習慣だと疑わなかった。
「玉が邪魔で、最後の一口が飲めない」
「傾け方が下手なんだよ」
結月が笑うと、青葉は瓶の口をこちらへ向けた。花火が上がるたび、ガラス玉の向こうで彼女の目が小さく揺れた。
その夜、青葉は父親の転勤で秋には町を出ると告げた。東京の美術科を受けるつもりだとも言った。
結月は、置いていかれる怖さを怒りに変えた。
「勝手にすれば。どうせ向こうで新しい友達できるでしょ」
本当は、行かないで、と言いたかった。せめて寂しいと言えばよかった。
青葉はしばらく黙り、ラムネを強く傾けた。玉が飲み口をふさいだ。
「詰まってる言葉って、傾けても出てこないね」
それから彼女は瓶の底を軽く叩き、残った一口を結月に渡した。
甘い炭酸はもうぬるく、喉の奥だけが痛かった。
二人はその後も何度か連絡を取ったが、いつしか誕生日の短いメッセージさえ途切れた。嫌いになったわけではない。ただ、謝るには年月がたちすぎたと思い込んだ。
段ボールの横で、結月はスマートフォンを開く。来月から大阪支社へ移る。今度は自分が町を離れる番だった。
青葉のアカウントには、個展の告知が載っていた。会場は大阪。偶然にしては出来すぎていて、結月は少し笑った。
メッセージ欄に、十年前の続きを打ちかける。
――あの夜、本当は行かないでって。
そこまで書いて消した。過去の正解を取り戻したいわけではない。
代わりに、こう送った。
――大阪に行きます。個展、見に行ってもいい? 今度は昔の続きじゃなくて、今の話をしたい。
送信の印がつく。返事はまだない。
結月はガラス玉を新しい部屋へ運ぶ箱に入れた。玉は底で小さく鳴り、もう何もふさいではいなかった。