一人分のホールケーキ
閉店後の洋菓子店で、今泉芹は十二センチのチョコレートケーキを作業台へ置いた。
「新商品の試作です」
榎並恭平は白衣の袖をまくった。
「用途は?」
「告白する人向け」
「成功祝い?」
「失敗したあと、一人で食べる用です」
丸いケーキの上には、伏せられたチョコレートプレートが載っていた。恭平が裏返す。
〈榎並さんが好きです〉
彼の手が止まった。
芹は絞り袋を握ったまま続けた。
「四年間、好きでした。返事も試食票にお願いします」
「商品開発みたいに言うなよ」
「仕事の形にしないと、出せなかったので」
恭平は椅子へ座った。曖昧に笑わなかった。
「ごめん。芹は大事な後輩だけど、恋愛としては好きじゃない」
「はい」
「知ってた?」
「榎並さん、全員に優しいから。私だけに優しい瞬間は、一度もなかったです」
分かっていたのに、声にされた途端、胸の奥が冷えた。芹はナイフを入れようとして、切っ先をクリームへ斜めに沈めた。
恭平がナイフを受け取ろうとしたので、首を振る。
「ここは自分で切ります」
「じゃあ、俺は帰ったほうがいい?」
「試食はしてください。失恋と商品審査は別です」
二人で向かい合い、一口食べた。
濃いチョコレートのあとから、苺の酸味が遅れてきた。
「甘すぎる」
恭平が言う。
「片思いなので。相手の分まで甘くしようとして、砂糖を倍にしました」
「そこはレシピどおりにしろ」
「告白直後に正論を出すの、早すぎません?」
「すまん」
「謝る場所が違います」
芹は泣きながら笑った。恭平は慰めるように触れず、紙ナプキンだけを差し出した。その距離の正しさが、また少し悲しかった。
試食票の総評欄に、彼は書いた。
〈味は良い。ただし「失恋した人用」と決めつけないほうがいい。一人で食べることも、祝ってよいと思う〉
芹はその下へ赤字を足した。
〈商品名――一人分のホールケーキ〉
翌月、ケーキは店頭に並んだ。
最初の一台を買ったのは芹だった。恭平は社員割引だけを適用し、特別な言葉は添えなかった。
家で箱を開けると、飾りのプレートには〈おつかれさま〉とあった。
芹は四等分せず、端からフォークを入れた。
丸いケーキは、誰かと半分にしなくても、欠けてはいなかった。