一分咲きの花見席
城ノ内帆南は、毎年、満開予報に合わせて有給を取っていた。
河川敷の桜を撮り、弁当を広げ、春をきちんと楽しむ。そう決めているのに、今年は取引先の都合で休みが一週間早まった。
堤の桜は、まだ枝の先に数輪だけだった。
「花見というより、枝見ですね」
帆南が呟くと、隣のベンチで魔法瓶を開けていた塩谷老人が笑った。
「花が一つあれば、花見だよ。あとは見る側の仕事だ」
近所に住んでいるらしく、彼は毎朝ここへ来るという。
帆南は仕方なく敷物を広げた。重箱には、菜の花のおひたし、筍の煮物、桜の形に抜いた人参。満開の写真に似合うよう、昨夜遅くまで作ったものだった。
「一人で食べるには立派だね」
「予定では、もっと華やかな景色でした」
「腹は景色を食べないよ」
塩谷に筍を一切れ渡すと、代わりに小さな紙包みを差し出された。中には桜餅が二つ入っている。
葉をほどくと、塩漬けの香りがまだ冷たい風へ広がった。餅は柔らかく、餡は少し温かかった。
「朝、向かいの和菓子屋でもらった。形が崩れたから売れないんだと」
「十分きれいです」
「十分を、みんな満点にしようとするから疲れる」
帆南は桜の枝を見上げた。
一輪だけ開いた花の隣で、固いつぼみが風に揺れている。満開になれば枝全体が白く霞むだろう。けれど今日の一輪は、どこに咲いているかすぐ分かった。
昼近くになると、犬を連れた人、買い物帰りの親子、杖をついた女性が通った。皆、足を止めて花を探した。
「あそこ」
「ほんとだ」
見つけるたび、知らない人同士の声が少し明るくなる。
帆南は携帯を取り出したが、写真を撮るのをやめた。
代わりに弁当の蓋を閉じ、残った桜餅をゆっくり食べる。
「来週、満開になったらまた来ます」
「その頃には花が多すぎて、今日の一輪は見つからないな」
塩谷は茶をすすった。
帰り道、コートの袖に桜の葉の香りが残っていた。
予定より早い春は、足りないのではなく、まだ途中にいる春だった。帆南は堤を振り返り、枝の先の小さな白を、今度はすぐに見つけた。