一分遅れる電光板
篠宮由良は、毎晩二十一時八分の電車に乗った。ホームへ下りる階段の段数も、三両目のいちばん端が空きやすいことも知っている。今日も発車一分前だった。
昼に出した異動希望は、上司から「もう少し今の部署で経験を積もう」と返された。由良は笑って「そうですよね」と答えた。断られたことより、その返事を自分から用意してしまったことが苦しかった。
ホームの電光板が一度消えた。次に点いたとき、行先の代わりに文字が流れた。
〈あなたは、何分遅れたら嫌われますか〉
広告にしては妙だ。由良が見上げていると、表示はすぐ変わった。
〈一分だけ、乗らないでください〉
電車が滑り込んだ。ドアの向こうには、いつもの空席が見えた。足が半歩出る。乗れば二十二時前に帰宅できる。シャワーを浴び、母から届いた婚活記事に既読をつけ、明日の服を出して眠る。遅れない日々は、誰にも叱られない代わりに、由良の希望だけを置き去りにした。
発車メロディーが鳴った。由良は黄色い線の手前で、鞄の持ち手を握り直した。
ドアが閉まる。窓に映った自分は、乗り遅れた人というより、見送った人の顔をしていた。電光板はもう、二十一時十五分、各駅停車としか表示していない。
七分の空白ができた。由良は駅の時計を見た。遅刻をしないことで守れた予定なら、いくつも思い出せる。けれど急いだせいで言えなかったことは、一度も数えたことがなかった。異動先で担当したい企画のメモは、鞄の底で半年も折れたままだ。
一本あとの電車にしただけで、会社も家も消えない。誰かに迷惑がかかったという通知も来ない。由良は初めて、時間が余ったのではなく、自分へ戻ってきたのだと思った。
由良はベンチに座らず、スマートフォンを開いた。上司とのチャットには、昼の自分が送った〈承知しました〉が残っている。
指先が一度止まる。けれど七分は、言い訳を考えるには短く、本音を書くには十分だった。
〈明日、異動希望について十五分だけ、もう一度お時間をください〉
送信した瞬間、次の電車の到着を知らせる風が、トンネルから由良の前髪を持ち上げた。