一畳ぶんの同居人
犬飼文乃が〈逢間不動産〉へ駆け込んだのは、内見した部屋が夜だけ一畳広くなると気づいたからだった。
「六畳のワンルームですよね。図面にも、そう書いてあります」
灰色のスーツを着た九鬼律は、白い折尺をぱちりと開いた。愛想の代わりに、寸法だけは正確な男だった。
「一畳は、一人分です」
「一人暮らしです」
「でしたら、余りません」
律は鍵を取り、午後十一時の部屋へ戻った。折尺を床に沿わせる。玄関から窓までは確かに六畳ぶん。けれど零時になると、壁が音もなく後退し、青い畳が一枚現れた。
そこには、欠けたマグカップ、男物のスリッパ、枯れかけた観葉植物が並んでいた。文乃が先週まで恋人と暮らしていた部屋から、持ち出さなかったものばかりだった。
「盗まれたんじゃありません。置いてきたんです」
「物の話はしていません」
律は折尺で青畳を測り、やはり一畳、と告げた。
文乃は、家賃が安いから借りたいのだと繰り返した。通勤にも便利で、日当たりもいい。恋人とは別れた。戻るつもりなどない。
「では、なぜスリッパを捨てなかったんです」
「勝手に捨てたら、帰ってきたとき困るでしょう」
口にしてから、文乃は黙った。別れ際、彼は「少し考えたい」と言った。文乃も「待ってる」と答えた。その期限だけ決めなかった。
律は容赦なく言った。
「この部屋は、待つために空けた場所を床にします。一畳は、一人分です」
「じゃあ、借りない方がいいですか」
「それを決めるのは不動産屋ではありません。誰の場所として使うかを決めるのが、入居者です」
律は段ボール箱を一つ組み立て、青畳の品を丁寧に包んだ。欠けたマグには紙を多めに巻き、枯れた鉢には水を少しだけ注ぐ。
「処分しないんですか」
「決められない物を、急いで捨てる必要はありません。事務所で三十日預かります」
「保管料は?」
「待つことに家賃を払わせるのは、当社の趣味ではないので」
翌朝、文乃は入居申込書に一人分の名前を書いた。青畳には、小さな机を置くことにした。昔から欲しかった、絵を描くための机だ。
律がもう一度、白い折尺を伸ばす。部屋は七畳のままだった。
「怪異が消えてません」
「ええ」
律は青畳の中央へ折尺を置き、初めて少しだけ目を細めた。
「一畳は、一人分です。今度は、あなたがここにいる分ですよ」