七年分の朝食

鳥羽瀬佐和が七年を売ったのは、八歳の息子・央士の心臓手術を待つ列を短くするためだった。

寿命は現金に換えられる。だが病院では、提供年数に応じて治療優先度を買える仕組みもあった。佐和は申込書の「死亡予測年齢・六十五歳」を見て、七十二から六十五になるだけだ、と署名した。七年にとどめたのは、残りまで学費に換える誘惑を断つためだった。

手術は成功した。央士は走れるようになり、佐和は毎朝、二人分の目玉焼きを作った。

しかし央士が中学生になると、佐和は朝食をやたら豪華にした。寝坊しても起こし、喧嘩した翌日も弁当に手紙を入れ、友達と食べると言われれば不機嫌になった。

「一緒にいられる朝が、普通の家より少ないんだよ」

口にした瞬間、央士の顔が固まった。彼は初めて、手術費の出所を知った。

それから央士は朝食を残さなくなった。部活の遠征も断り、休日には母の買い物についてきた。佐和は嬉しいはずなのに、息子が時計ばかり見るようになったことが苦しかった。

高校の修学旅行を央士が欠席すると言った夜、佐和は契約書を食卓に置いた。

「七年は、あなたに返してもらう借金じゃない」

「でも、母さんが死んだら、僕のせいだ」

「人はみんな死ぬ。私は売った七年で、あなたが生きる未来を買った。なのに、その未来を私のそばで小さく使わせたら、買い物として大失敗でしょう」

翌朝、佐和は一人分だけ朝食を作った。空いた皿を見るのは怖かったが、央士を駅まで送った。彼は修学旅行の鞄を背負い、改札の向こうから何度も振り返った。

佐和は手を振り、帰宅して冷めた味噌汁を飲んだ。

十年後、央士は遠い町で看護師になった。年に数度しか帰らない。けれど帰省の朝には必ず早起きし、佐和より先に卵を焼く。

「七年分、取り戻そうとは思わないよ」

そう言って、焦げた目玉焼きを差し出す。

佐和は六十五歳を越えた。予測が外れたのか、売った年月の外側へ少しはみ出したのかは分からない。

ただ毎朝を数えることは、もうやめていた。残りの長さではなく、央士が自分の時間を自分で使っていることを、朝食のない日にも喜べるようになったからだ。