七時十分の店番
七種瑞稀が父の時計店へ戻ったのは、葬儀から十日後だった。
狭い店内では、百を超える時計が勝手な時を刻んでいた。父はその不揃いな音を「町の心臓」と呼んだ。瑞稀には、継ぐことを強いる鎖にしか聞こえなかった。
十九歳で家を出る朝、父と言い争った。
「時計なんか直して、何になるの」
「止まったものが、また動く」
「それだけ?」
「それだけで助かる人もいる」
以来、必要な連絡しかしていない。
片づけの途中、作業台の下で水音がした。大きな水槽に、一匹の更紗金魚がいた。白い腹に赤い斑点。子どものころ、祭りですくった「珊瑚」だった。
「まだ生きてたの」
十四年。父は毎朝、水槽の様子を確かめ、閉店後に餌をやっていたらしい。壁には飼育表が貼られ、最後の日まで几帳面に丸が並んでいた。
午後七時十分、柱時計が鳴った。
すると珊瑚は水面へ上がり、入口のほうを向いた。餌を落としても見向きもしない。翌日も、七時十分になると同じ場所で尾を振った。
道具箱の奥から、小さな録音機が出てきた。再生すると、少女の声がした。
『ただいま。珊瑚、おなかすいた?』
瑞稀自身の声だった。中学時代、毎日七時十分に帰宅し、店を横切って水槽へ向かっていた。父は古い留守番電話から声を移し、瑞稀が出ていったあとも、時報代わりに流していたのだ。
録音の後ろで、若い父が笑っている。
『こいつは、おまえの足音を時計より正確に覚えたな』
瑞稀は床へ座り込んだ。父は自分を待っていたのだと思った。だが飼育表の裏には、別の字があった。
〈待たせるのはよくない。珊瑚には、帰ってくる声ではなく、今日も生きる時刻を覚えてもらう〉
父は、帰らない娘を責めるために声を残したのではなかった。娘がいない日々にも、一匹の命をきちんと明日へ渡すため、同じ時刻を守っていただけだった。
店を閉める日、瑞稀は珊瑚を自宅へ連れて帰った。百の時計は手放したが、七時十分に鳴る柱時計だけ残した。
新しい部屋で最初の鐘が鳴る。
珊瑚が水面へ上がった。
瑞稀は録音を止め、自分の声で言った。
「今日からは、私がいるよ」
金魚は入口ではなく、彼女のほうへ向きを変えた。