七番線からご乗車ください
湯浅夏帆が八年間使っている東霞駅には、六番線までしかない。
だから月曜の朝、いつもの到着案内に続いて、
『七番線に、回送列車が参ります』
と流れたときも、機械の誤作動だと思った。
ホームにいた誰も顔を上げなかった。駅員も平然としていた。ただ、足元を風が通り抜け、階段の下から濡れた鉄の匂いが上がってきた。
翌朝、売店と化粧室の間に細い通路ができていた。壁と同じ灰色なので、ぼんやりしていると見落とす。頭上の案内板には、白い文字で「七番線」とあった。
夏帆が目を凝らすと、表示は「倉庫」に変わった。
その晩、交通系ICカードの履歴を確認した。
午前零時三分、東霞駅七番線入場。
午前零時四分、東霞駅七番線出場。
その時刻、夏帆は自宅で眠っていた。
次の日から、七番線の放送は彼女にだけ詳しくなった。
『本日は紺色の傘をお持ちのお客様をお迎えします』
『右足を痛めているお客様は、黄色い線の内側へ』
『湯浅夏帆様、まもなくご帰宅です』
紺色の傘を捨て、右足の靴を替えても、放送は間違えなかった。
駅員に訴えると、若い男は笑顔で路線図を指した。
「当駅に七番線はございません」
それから声を落とした。
「まだ、こちらにいらしたんですね」
金曜の夜、信号故障で全線が止まった。苛立つ乗客たちの頭上で、案内板が一斉に切り替わった。
〈混雑緩和のため、七番線をご利用ください〉
人の流れが、あの細い通路へ吸い込まれていく。
夏帆も押され、暗い階段を下りた。
七番線には、見覚えのある人ばかり立っていた。毎朝同じ車両に乗る会社員、赤い鞄の学生、杖をつく老女。けれど全員、服の肩が雨に濡れ、目を閉じていた。
その列の最後に、夏帆自身がいた。
紺色の傘を持ち、右足をかばいながら、楽しそうに笑っている。
夏帆は階段を駆け上がった。背後で列車が到着し、二人分の足音が追ってきた。
翌朝、改札は彼女のカードを拒んだ。
〈すでに入場しています〉
駅員へ助けを求めようとしたとき、一番線の電車が到着した。窓の中に、昨夜の自分が座っていた。紺色の傘を膝に置き、夏帆の社員証を首から下げている。
車内の彼女がこちらを見た。
『七番線からのお客様へ』
構内放送が響いた。
『他のホームに残ったお客様とは、目を合わせないでください』
車内の夏帆は慌てて顔をそむけた。
改札のこちらにいる夏帆だけが、自分がどちら側なのか分からなくなった。