三十通の替え
日曜の夜、斎院真澄は三度目の修正データを送った。
「朝までにもう一案。若いうちは寝なくても死なない」
鬼無里征一社長はそう言って、高級車の鍵を鳴らした。徹夜は自己研鑽、休日出勤は情熱。異議を唱えた者には決まって、「デザイナーなんて替えはいくらでもいる」と笑った。
月曜九時、鬼無里の机に封筒が三十通並んだ。制作、営業、進行、経理。全員の退職届だった。三十人の机には私物だけがなくなり、会社の機材と原稿は所定の場所にそろっていた。退職手続きの不備を探そうにも、就業規則の条文まで付箋で示されている。退職者たちは顧客データを会社の保管庫へ戻し、進行中案件の引き継ぎ表も残していた。止めたのは仕事ではない。自分たちを壊す働き方だけだった。
「脅しか? 今日中に撤回しろ」
斎院は社員証を置いた。
「本日付です。有給休暇の残日数も、未払い残業の記録も、代理人に預けました」
鬼無里が怒鳴るより先に、最大取引先の役員が会議室へ入ってきた。年間売上の半分を占める通販会社だった。
「新商品のサイトは予定どおり公開します。ただし委託先を変更します」
差し出された契約書には、斎院たちが設立した新会社の名があった。鬼無里は鼻で笑った。
「うちの看板がなければ、こいつらに何ができる」
役員は静かに首を振った。
「我々が仕事をしてきたのは、毎晩修正に応じ、事故を防ぎ、数字を伸ばした斎院さんたちです。あなたではない」
そのとき受付から連絡が入った。労働基準監督署の臨検で、勤怠サーバーを確認したいという。続けて銀行から電話が鳴る。主要契約の消失と賃金債権の発生を受け、融資枠を即日停止するとの通知だった。
鬼無里は三十人を見回した。
「待て。誰がこの会社を回すんだ」
斎院は新しい名刺を一枚だけ机に置いた。
「社長のおっしゃったとおり、替えはいました」
役員が契約書へ判を押す。
「会社のほうに、ですが」
その瞬間、三十人の次の仕事と、鬼無里の会社の倒産が同時に確定した。