不在票を入れない朝

午前七時五十二分、蓬田直は、川沿いの高層マンションで最後の小箱を抱えていた。中身は再発行された銀行カード。八時までに届ければ、受取人はそのまま空港へ向かえるという。

呼び出しに男の声が返った。

「足が悪い。玄関前に置いてくれ」

新人の同乗員が小声で言う。

「急いでるそうですし、置いたことにしていいんじゃ」

だが伝票には赤字で「本人限定」とある。身分証を見なければ渡せず、会えなければ持戻りだ。直は謝って、もう一度対面を求めた。

「免許証は中から見せる。ドアは開けない」

声は苛立っていた。

直は箱を下ろさなかった。玄関の表札は外され、床の隅に別の部屋番号の宅配袋が二つ置かれている。さらに、伝票の連絡先へ電話すると、呼び出し音がドアの向こうではなく、直の背後のエレベーターから聞こえた。

扉が開き、杖をついた老人が息を切らして現れた。

「病院から戻ったところだ。誰かいるのか」

中の気配が止まった。直は老人をエレベーターへ戻し、閉ボタンを押してから管理室へ連絡した。ドアを開けて確かめようとした新人の腕も止めた。侵入者が一人とは限らない。

警備員が上がってくるまで、直は箱のバーコードに触れなかった。配達完了スキャンは、荷物を置いた印ではない。正しい相手へ責任を渡した印だ。

事情聴取のあと、老人は震える手で身分証を出した。

「カードより、家を受け取ってもらった気分だよ」

直は笑わず、受領欄を指した。仕事は感謝で曖昧にしてはいけない。

管理室のモニターには、数日前から同じ階で宅配員を待つ男が映っていた。伝票の部屋は、老人の入院中に郵便受けが荒らされていたという。直は新人に、荷物が軽いから危険も軽いとは限らないとだけ言った。カード一枚で、次の荷物の受取先まで変えられてしまう。

八時十一分。端末には次の時間指定が赤く点滅していた。新人が運転席へ走る。直は不在票を一枚も使わなかったポケットを押さえ、次の住所を読み上げた。

朝日は、開いたままの非常階段に差していた。