九時の拍手
午後九時十二分、劇作家の霧島暁彦は、劇場二階の控室で死んでいた。後頭部を青銅の小道具で殴られ、机に伏している。客席からは、終幕へ向かう台詞と拍手が天井越しに響いていた。発見の十分前、私――演出助手の美濃部燈の携帯には、霧島から音声メッセージが届いていた。
「二幕の拍手が終わった。三人を連れて、すぐ来い」
三人とは主演の宇佐見塔子、舞台監督の小田巻徹、協賛会社の柚木沢圭吾だった。だが九時、宇佐見は舞台中央で独白中。小田巻は客席後方の卓で照明合図を出し、柚木沢は百人の招待客とロビーにいた。誰にも控室へ行けない。
霧島は開演前、三人それぞれと口論していた。新作の主役を降ろす、事故の責任を公表する、協賛金の帳簿を返さない――動機だけなら全員にある。警備員は八時以降、二階へ上がった者を見ていなかった。
調べて残った手掛かりは三つだけだった。第一に、届いた音声の作成時刻は午後六時十四分。第二に、背後の拍手には一度の咳と二度の口笛が入り、それは五時半の通し稽古を録音した音源と完全に重なった。第三に、控室の壁時計は八時十八分で止まり、文字盤には青銅片が刺さっていた。
宇佐見は七時五十分から衣装係と舞台袖にいた。柚木沢は七時四十分から招待客を迎え続けていた。小田巻だけは八時十五分、「台本の差し替えを渡す」と二階へ上がり、八時二十五分に持ち場へ戻っている。彼は九時の自分を見せるため、霧島の携帯で音声を予約送信したのだ。
「九時の拍手は、死者が聞いた拍手ではありません」私は小田巻を見た。「音声は六時十四分に作られ、稽古の拍手を重ねて九時に予約送信された。だから宇佐見さんも柚木沢さんも、あなた自身も九時には堂々と人前にいられた。しかし青銅片を噛んだ時計は、殴打の衝撃を受けた八時十八分で止まっている。その時刻に二階へ上がり、霧島さんと会ったのはあなた一人です。全員のアリバイは崩れません。崩れたのは、あなたが作った犯行時刻だけです」