二枚の見積書

椎名絹葉のテーブルには、引っ越し会社の見積書が二枚並んでいた。

一枚目は段ボール六十二箱。今の部屋にある物を、ほとんどそのまま運ぶプランだった。二枚目は十八箱。駅から遠い小さな部屋へ入るため、本も服も食器も半分以下にするプランだ。

家賃の値上げを知らせる封筒が届いてから、絹葉は毎晩、不動産サイトを見ていた。二十九歳で今より狭い部屋へ移るのは、暮らしを後退させることに思えた。友人たちは広い部屋へ移り、家具を買い、客用の椅子まで持っている。絹葉の候補は、冷蔵庫を開ければ背中が壁につく六畳だった。

けれど六十二箱の内訳を見直すと、妙な物ばかり残っていた。三年前に一度だけ使ったキャンプ用品。いつか習うつもりの織り機。似合う年齢が来ると思って買った赤いコート。絹葉は、物ではなく、なれなかった自分たちと暮らしていた。

見積もり担当者から確認の電話が来た。

「どちらのプランになさいますか」

六十二箱なら、今までを丸ごと連れていける。十八箱なら、手放したあとで惜しくなる夜がきっとある。

絹葉は赤いコートを羽織って鏡の前に立った。やはり似合わなかった。けれど笑ってしまった。似合う日を待つために、もう一部屋分の家賃を払う必要はない。

「十八箱でお願いします」

電話を切ると、迷っていた織り機を譲渡サイトへ載せた。五分後、近所の大学生から〈ずっと探していました〉と連絡が来た。

小さな部屋の間取り図には、家具を置ける場所がほとんどなかった。絹葉は鉛筆でベッドと机を描き、消し、また描いた。客用の椅子は入らない。誰かが来れば床に座ってもらうしかない。六十二箱の部屋なら失わずに済む体裁まで、十八箱では自分から断ることになる。

箱を減らすたび、部屋が広くなるのではなく、選ばなかった自分の輪郭が薄くなった。寂しさは残ったが、それも荷物の一つとして数えることにした。

正しく減らせたとは思わない。新しい部屋で、捨てた物を数える夜もあるだろう。絹葉は空の箱に太いペンで「持っていくもの」と書いた。その文字の下へ、自分の名前も小さく足した。