二百四十箱の冷気
水産商社の期末売上承認会議で、若宮戸さくらは冷凍倉庫会社の入出庫担当として壁際に座っていた。商社が海外卸へ売ったという冷凍マグロ二百四十箱、売上二億一千万円。その出庫証明に倉庫側の確認印を押すため呼ばれたのだ。
営業本部長の熊懐は、三月三十一日午後十一時四十八分に引き渡しが完了したと説明した。請求書、受領書、箱ごとのロット表もそろっている。
さくらは受領書の時刻を見た。午後十一時四十一分。請求書が発行される七分前に、買い手が金額まで確認して受領している。
熊懐は、請求書番号だけ後から付けたと答えた。
「現物は確かに倉庫を出た」
さくらは搬出口の重量記録を示した。二百四十箱なら、トラック込みで十四・八トン増える。だが午後十一時から翌朝まで、出場車両は一台もなく、計量器の変化は〇・〇トンだった。
営業側は、倉庫内で所有権だけを移す帳簿上の引き渡しだと言い換えた。そこでさくらは保管区画図を開いた。買い手専用とされたB-17区画は、同じ商社が翌月も在庫として棚卸しした場所だった。箱の封印番号も一つも変わっていない。
買い手企業の登記住所を調べると、熊懐の義弟が借りるワンルームだった。資本金は十万円。二億円の支払能力を示す資料はなく、代金も未入金である。
さくらの上司は、倉庫契約を失うから印を押せと小声で言った。熊懐も「荷物を動かさない取引は珍しくない」と迫る。
さくらは倉庫印をケースへ戻した。
「所有者が変わったなら、棚卸しの持ち主も変えてください。両方に同じ二百四十箱は置けません」
さくらは倉庫内メールも示した。熊懐から「期末は売却済みと表示するが、四月一日に自社在庫へ戻せ。箱は動かすな」と指示が届いていた。送信時刻は受領書の作成前で、翌朝の自動復旧処理まで予約されている。売買ではなく、日付をまたぐ表示変更だった。
監査役が売上承認書を伏せた。冷凍庫の扉は閉じたまま、二億一千万円の決裁だけが冷気の中で止まった。