仮鍵の返却日
相良塔子が慧吾から渡された鍵には、白い紙のタグがついていた。
〈いつでも来ていい鍵〉
丸い字でそう書かれている。けれど塔子には、「いつまででもいていい」と「いつまでも答えを延ばしていい」が同じ鍵穴に重なって見えた。
二十九歳の誕生日まで、あと二か月。自分の部屋の更新期限は来週だった。慧吾は昨夜、食器を洗いながら言った。
「更新料、もったいないだろ。こっちに住まない?」
嫌ではなかった。朝、彼が豆を挽く音も、玄関に二足の靴が並ぶ景色も想像できる。反対に、眠れない夜に一人で冷蔵庫を開ける静けさがなくなることも、よく想像できた。
机には二枚の紙がある。自分の部屋の更新案内と、慧吾の部屋の管理会社へ出す同居人追加届。前者には二年という数字があり、後者には入居予定日しかない。始まりだけを書かせて、終わりについては何も訊かない紙だった。
塔子は三十分考え、追加届へ五月一日と記入した。それから鍵の白いタグを裏返し、赤いペンで五月三十一日と書いた。
一か月だけ、二つの部屋を行き来する。その終わりに、鍵を返すか、自分の部屋を引き払うかを決める。慧吾が「お試しなんて信用されてないみたいだ」と傷つく可能性もある。試した結果、二人が終わる可能性もある。
それでも、年齢を理由に一足飛びで暮らしを決めるより、怖がっている自分ごと部屋へ連れていきたかった。
〈一か月、一緒に暮らしてみたい。五月末に必ずもう一度話したい〉
塔子はそう送って、追加届を封筒に入れた。すぐに既読がついたが、返事は来なかった。
塔子は小さな旅行鞄へ、部屋着と化粧水、それから欠けた黄色いマグカップだけを入れた。全部を運べば、試すと言いながら戻れないよう自分を追い込むことになる。何も運ばなければ、客のままだ。選んだ三つは、暮らすには足りず、泊まるだけには少し多かった。
静かな部屋で、二本の鍵を掌に載せる。どちらが正しい未来の鍵かは分からない。塔子は白いタグの日付を指でなぞり、返事を待たずに封を閉じた。