休符で電車を逃す

二十七歳の白石澄乃は、毎晩十九時十八分の急行に乗るため、駅前広場を斜めに横切った。広告代理店を出る時刻は日によって違うのに、その電車だけは変えない。乗れれば一日を予定どおり終えられた気がした。ホームでは翌日の予定を確認し、車内では未返信を片づける。帰宅後も、眠るまでの時間を十五分刻みで埋めていた。休日には洗濯、買い物、美容院を同じ沿線で済ませた。先月、友人に『用事もなく会わない?』と誘われたときは、予定表へ入れる名目が見つからず断った。空いた時間は休みではなく、管理できていない穴に見えた。

その火曜、広場の中央にアコーディオン奏者がいた。古い帽子をかぶった円城寺篤という男で、蛇腹を大きく開くたび、通勤客の流れだけが彼を避けて二つに割れた。澄乃もいつものように通り過ぎようとしたが、曲が突然途切れた。故障かと思って振り返ると、円城寺は鍵盤へ指を置いたまま、澄乃を見ていた。

「あなたの一日、休符はどこにありますか」

意味が分からず、澄乃は腕時計を見た。急行まで二分四十秒。

「次に音が止まったら、一歩だけ止まってください」

それだけ言うと、演奏はまた始まった。陽気な曲なのに、ときどき短い空白が混じる。澄乃は歩き出した。最初の休符では止まれなかった。二度目は片足だけ遅くなった。三度目、改札へ下りる階段の手前で、両足がそろった。

ちょうど発車ベルが鳴った。走れば間に合う。いつもなら鞄を抱えて階段を駆け下りるところだった。けれど背後の曲は、澄乃が止まった空白を待っていたように、次の音をゆっくり置いた。ホームの向こうで急行の扉が閉まり、窓の灯りが連なって遠ざかる。

スマートフォンが震えた。上司から〈今夜、少しだけ確認できますか〉。少しだけ、が一時間になることを知っている。澄乃は入力欄に「承知しました」と打ち、消した。広場ではアコーディオンがまだ続いている。次の各駅停車は七分後だった。

澄乃は〈明朝九時に確認します〉と送り、改札ではなく広場のベンチへ向かった。