会議の議題は昼寝
浮橋真帆が猫の声を聞いたのは、火曜の定例会議中だった。
半年前、マンションの植え込みから拾った黒猫は、画面の前へどっかり座り、部長の説明を聞いていた。そして真帆の頭の中へ、低い声を落とした。
『その「前向きに検討します」は、だいたい後ろ向きだな』
真帆は危うく吹き出した。
猫の名は議長という。オンライン会議へ必ず参加し、発言者が長いほど尾を強く振るからだ。
「今、何か言った?」
会議後に訊くと、議長は前足を舐めた。
『言った。お前たちは同じ話を三度する』
「疲れて幻聴が聞こえてるのかな」
『幻聴に餌を催促されるとは、ずいぶん器用だ』
真帆はしばらく額を押さえ、それから餌を出した。
声が聞こえるのは、真帆だけらしかった。動物病院では議長は普通に鳴き、友人が遊びに来ても愛想のない猫で通した。
けれど二人きりになると、遠慮がなかった。
『昼を食べろ』
『肩が耳に近すぎる』
『そのメールは朝でも世界を救わない』
どれも反論しにくい。
金曜の夜、真帆は新商品の資料を直していた。時計は零時を回り、冷めた珈琲が舌に苦い。議長がキーボードの横へ座った。
「あと一頁」
『人間は、今日の自分を働かせすぎて、明日の自分に謝らせる』
「猫は締切を知らないから」
『知っている。餌の締切は一分も延ばさない』
議長は画面の電源ボタンへ前足を置いた。
真帆は迷い、保存してパソコンを閉じた。
台所で牛乳を温め、蜂蜜を少し溶かす。議長にはぬるま湯を替えた。二つの器から湯気が立ち、部屋へ甘い匂いが広がる。
『本日の議題。膝を空けろ』
「採決は?」
『全会一致』
一匹しかいないのに、議長は当然のように言った。
ソファへ座ると、黒い体が膝へ収まった。喉の振動が太腿から胸まで伝わり、真帆は久しぶりに時計を見ずに息を吐いた。
次の定例会議で、真帆は勇気を出して提案した。
「議題を三つに絞り、三十分で終えませんか」
意外にも部長は賛成した。画面の外で議長が欠伸をする。
『ようやく人間にも昼寝の余白ができる』
会議は二十八分で終わった。真帆が窓を開けると、春の風と温め直したミルクの香りが混じった。議長は日向へ移り、今日いちばん正しい結論のように丸くなった。