会議鞄の赤い半券

香椎真帆は、月曜の朝だけ、いつもより丁寧に髪をまとめる。週末の自分を一本も残さないためだ。

金曜の終業後に新幹線へ飛び乗り、大阪で土曜のマチネとソワレ、日曜の千秋楽まで観た。推しが演じる船長は三度死に、三度とも立ち上がった。客席では「まほろ」という名で泣き、赤いペンライトを振った。けれど会社では、休日の話を振られても「家でゆっくりしていました」と答える。

帰宅すると、赤いネイルを落とし、遠征用の派手なポーチを棚の奥へ戻した。会社へ連れていくつもりのなかった半券だけは、捨てられなかった。最後の台詞を聞いた証拠のようで、仕事用手帳の間へそっと挟んだ。月曜の朝には、そこにあることを忘れていた。

十時の進捗会議で、真帆が資料を取り出したとき、手帳の間から赤い半券が滑った。

『薔薇王の航路 大阪公演千秋楽』

床の上で、その文字だけがやけに大きく見えた。向かいの後輩が「あ」と息をのみ、部長が先に拾った。裏には、物販で押してもらった「まほろ様へ」のスタンプまである。

真帆の喉が固まった。

部長は半券を会議資料の下に挟み、「三ページ目、数字が更新されています」とだけ言った。誰も拾い直せない速度で議題が進んだ。

昼休み、半券は茶封筒に入って戻ってきた。

「経費に混ぜていない休日まで、報告はいらないから」

部長はそれ以上聞かなかった。真帆は礼を言い、封筒を鞄へしまった。中の半券には、拾われたときについた新しい折り目があった。それさえ、会社の自分と客席の自分が初めて触れた跡に思えた。守られたことがうれしいのに、また隠したことが少しだけ苦しかった。

席へ戻ると、さっきの後輩が共有カレンダーを見ながら、仙台公演の日に休暇を入れていた。理由欄は「私用」。指先が迷っている。

真帆は自分の予定を開いた。これまでは同じ二文字で埋めていた欄に、ゆっくり打つ。

『舞台観劇・仙台遠征』

保存を押すと、後輩がこちらを見た。真帆は赤い半券を手帳の透明ポケットへ戻し、今度は文字が見える向きに差し込んだ。