値引きしない見積書
「あと十二パーセント下げれば、今日決める」
食品工場の調達課長は、宗形環の見積書を指で叩いた。包装ラインの搬送機が止まりかけている。交換期限は三週間後。競合は二百万円安いという。
環は値引きの許可を取りに電話せず、作業場をもう一度見せてほしいと頼んだ。
課長は露骨に眉をひそめた。営業が現場へ行くのは、たいてい写真を撮って帰るためだ。環は機械の脚元にしゃがみ、床の白い筋を指でなぞった。洗浄後の水が乾いた跡だった。近くには塩分を含む調味液の配管が走っている。
「競合さんの仕様書、架台は塗装鋼ですね」
課長が紙をめくる。確かにそう書いてあった。
現行機はステンレスだった。塗装鋼でも初年度は動く。しかし毎晩の洗浄で傷に水が入り、錆が脚の内側から進む。三年後、ラインを止めずに済む保証はない。
保全担当を呼ぶと、去年も脚の付け根を一度補修していたことが分かった。記録には「表面傷」としかなく、調達課には伝わっていなかった。環は見積書の添付を価格比較表から、洗浄条件と材質を並べた一枚へ差し替えた。
環は自社案からも不要な装備を一つ外した。速度を上げる予備機構だ。工場の前後工程を計ると、そこだけ速くしても生産量は増えなかった。その代わり、同じ材質のまま制御盤を先納し、本体を後送する二段納入に組み替えた。リードタイムは二日縮まり、据付日の停止時間も半日減った。
「値段は六パーセントだけ下げられます。粗利を削るのではなく、要らない機能を削りました」
課長はしばらく見積書と濡れた床を見比べた。
「安い方を買って、三年後に私が異動している可能性もある」
「そのとき残る人が、錆びた脚の下で働きます」
契約書に判が押されたのは、終業十分前だった。課長は価格比較表の表題を「購入額」から「停止までの費用」へ書き換えた。
環が会社へ戻る車に乗ると、技術部から電話が入った。
「宗形さん、次の現場、写真と寸法が食い違っています」
彼女はエンジンをかけたまま、鞄から新しい仕様書を取り出した。