値札のない薬瓶
キュリネの吹く薬瓶には、値札がなかった。
錬金工房の棚で売られるのは、中身の回復薬や解毒液だ。透明な瓶は包装材としてまとめて仕入れられ、職人名さえ記録されない。月末、商会の売上盤に出たキュリネの寄与は3%。工房主は鼻で笑った。
「火床を使うだけ赤字だ。次から瓶洗いに戻れ」
キュリネは反論せず、自分の吹き竿を布で包んだ。彼女の瓶には、口元に見えないほど細い溝がある。薬の魔力を逃がさず、指先だけで種類を判別できる工夫だった。けれど説明しても、工房主は「客は中身を買う」と聞かなかった。
翌朝から、安い既製瓶が棚に並んだ。見た目は同じだった。ところが配達馬車の揺れで栓が緩み、薬効が薄れ、暗い洞窟で瓶を取り違える者が続いた。返品箱が受付を塞ぎ、常連の治癒院まで注文を止めた。
工房主は錬金術師を怒鳴った。錬金術師は青ざめて、空瓶の口を示した。
「薬は同じです。違うのは、キュリネの溝がないことだけです」
その声に反応して、長く飾り扱いだった商会の《売上因果鏡》が起動した。商品そのものだけでなく、保存、輸送、識別、再注文まで遡って、誰の仕事が代金を生んだかを映す古い遺物だ。
光の糸が、薬棚から配達台へ、治癒院へ、冒険者の帰還へと伸び、すべてキュリネの吹き竿へ集まった。工房主が鏡を叩く。
「容器が薬より売上を作るはずがない!」
鏡は冷たく文字を返した。
《容器がなければ、薬は商品として到着しない》
返品を押しつけられていた若い錬金術師たちも、次々に口を開いた。薬の劣化を調合の失敗として始末書にさせられたこと、キュリネだけが瓶を調べて原因を黙って直していたこと。鏡は、その隠された修正まで光の筋として拾い上げた。工房主の名からは、売上ではなく損失の影だけが伸びた。
入口にいたキュリネは、戻ってきた吹き竿を受け取らなかった。代わりに、商会長が差し出した工房印を手にする。火床の前で黙っていた職人たちが、今度は彼女へ道を空けた。
治癒院の院長が、返品された瓶とキュリネの古い瓶を卓へ並べた。前者は栓の周りが濡れ、後者は何度運んでも乾いている。冒険者たちも暗闇で溝を指先に当て、薬を取り違えずに済んだと証言した。工房主が「瓶など替えが利く」と繰り返すたび、客は彼の署名入り注文書を破ってキュリネへ差し出す。見習いたちは彼女の吹き竿ではなく、まず客の手を観察する姿勢から教わりたいと申し出た。商会長は空いた瓶洗い場へ工房主の机を移し、失った信用を数える仕事を命じた。
《真価確定:キュリネ 実売上寄与97%》
《売上順位:圏外→首位/役職:瓶洗い→流通工房長》