傘が乾くまで
転職面接の朝、娘は父に駅まで送ってもらった。
雨の中、父は古い傘を差しながら、
「空白期間は、家のことをしていたと言えばいい」
と何度も助言した。
娘は母の介護で三年仕事を離れた。父も介護したはずなのに、面接で答えるのは自分だけだと思うと腹が立った。
駅前で傘が風にあおられ、二人は同時に叫んだ。
「代わってよ」
次の瞬間、娘は父の体に、父は娘の体に入っていた。
古い傘の下で同じ言葉を言った二人は、傘が乾くまで入れ替わるらしい。
面接の時刻が迫っていた。
父は娘の姿で会場へ行くことになり、娘は父として病院の定期検査へ向かった。
受付で娘は、父の耳が思った以上に聞こえていないと知った。
呼ばれても気づかず、看護師の口元を読んでいた。
医師からは、膝の手術を勧められていた。
父は一言も話していなかった。
一方、父は面接室で、介護の空白について尋ねられた。
「その経験をどう仕事へ生かせますか」
用意した答えはあった。
だが娘の体は、質問を聞いた瞬間に指先が冷え、喉が固くなった。
父は初めて、娘が説明しようとするたび、母の最期まで面接官の前へ並べ直していることを知った。
「生かせるかは分かりません」
父は答えた。
「ただ、人の暮らしは予定どおりに進まないと知りました」
帰宅すると、傘は玄関でまだ濡れていた。
二人は互いの結果を話した。
面接は保留。
父の手術も保留。
「耳のこと、何で言わなかったの」
「お前の面接の方が大事だろ」
「そういう順番を勝手に決めないで」
父は謝り、
「介護をしたのは、お前だけじゃない。でも、仕事を止めたのはお前だ」
と言った。
その違いを、ようやく自分の言葉で認めた。
二人は傘を開き、浴室へ干した。
すぐ乾かすためではない。
もう少しだけ相手の体にいたかったからだ。
父は娘の震える手で履歴書を書き直し、娘は父の痛む膝で手術の日程を調べた。
夜、傘の最後の雫が落ちると元へ戻った。
次の面接には、父は送っていかなかった。
代わりに病院から、
「こちらも逃げずに行く」
と短いメッセージが来た。
娘は自分の手で返信した。
「私も」