公平な終電
終電一本前の電車まで、あと九分だった。
人事面談を終えた千景は、改札前のベンチで央輔と並んだ。明日から彼は大阪支社の課長になる。推薦文を書いたのは千景だった。
「結果、知ってたんですね」
「選考委員だったから」
「それで三か月、食事に誘っても全部断った?」
逃げ道のない質問だった。千景は発車案内を見上げた。
三年間、央輔は千景の机にだけ無糖の缶コーヒーを置き、会議で彼女が言い損ねた反論を拾った。千景も彼の企画が却下されるたび、数字を洗い直して翌朝の机へ戻した。二人の間にあったものは、誰から見ても仕事だった。だからこそ、たった一言で過去のすべてまで疑われるのが惜しかった。選考期間中、央輔から届いた私用の食事の誘いを開くたび、千景は返信を翌日に延ばし、結局〈また今度〉だけを残した。
「公平にしたかったの」
央輔は同期だが、今回だけは評価する側とされる側だった。好きだと言えば、推薦に私情が混じったように見える。断れば、昇進に響くと思わせるかもしれない。その可能性が一つでもある間は、何も言えなかった。
「推薦理由の最後、読んでもいいですか」
「本人には開示されないはずだけど」
「部長が見せてくれました。『彼が抜ければチームは困る。それでも送り出すべき人材だ』」
「公平に書いただけ」
二度目は、自分に言い聞かせる声になった。
ホームへ下りる階段から、到着ベルが聞こえた。あと二分。
「俺、断ろうかと思ったんです」
「どうして」
「千景さんが、俺に残ってほしい顔をしたから」
「してない」
「してました」
「見間違い」
央輔は笑わなかった。「じゃあ、今なら聞いてもいいですか。選考は終わった。辞令も出た。俺たちは明日から別の支社です」
電車が滑り込む。千景は定期券を取り出したが、改札に触れなかった。
「公平にして」
三度目だけは、仕事の話ではなかった。
「私だけがあなたのことを考えて、あなたは何も知らないまま行くのは、ずるいから」
央輔が息を止める。
千景は社用携帯を鞄にしまい、個人用のスマートフォンに連絡先交換の画面を出した。
目の前で扉が閉まり、終電一本前の電車が発車した。