六時十二分の台所

中学に上がってから、私は父とまともに話していなかった。

母が入院して三週間、朝食は焦げたトースト、弁当は茶色い冷凍食品ばかりだった。父は謝りもしない。「食べられれば同じだろ」と言う。その言い方が、母のいない穴まで雑に扱われた気がして、腹が立った。

ある朝、台所の時計が六時十二分を指した瞬間、冷蔵庫の音も、やかんの湯気も、窓の外を飛ぶ雀も止まった。

動けるのは私だけだった。

父はまな板の前で、包丁を握ったまま固まっていた。切りかけのりんごは、うさぎの形になり損ねていた。耳は片方が厚く、片方が薄い。脇には、母の字で「皮は浅く」「切り込みは斜め」と書かれたメモが置かれている。紙には何度も水が落ち、文字がにじんでいた。

流しの横には、失敗したりんごが五つ。ごみ箱には入れず、塩水につけてある。夜に自分で食べるつもりらしい。

父の左手には細い切り傷が三本あり、絆創膏の上へ油性ペンで「右から切る」と書かれていた。炊飯器の脇には、昨夜母へ送ったらしい写真が開かれている。焦げた卵焼きに、母から「今日は昨日より四角」と返事が来ていた。褒めているのか慰めているのか分からない文章を、父は保存していた。

弁当箱の底には小さな海苔が敷かれ、その上に、歪んだ音符が並んでいた。今日、私が合唱の伴奏をすることを、父は覚えていた。

時計の秒針が動き出すと、やかんが鳴った。

父は飛び上がり、私に気づいて、慌てて弁当の蓋を閉じた。

「見るな。まだ完成してない」

「何が」

「朝飯も、弁当も、その……父親も」

笑うつもりはなかったのに、鼻から息が漏れた。

私はまな板から、耳の大きさが違ううさぎを一つ取った。

「これ、私が食べる」

「失敗作だぞ」

「食べられれば同じなんでしょ」

父は何か言い返そうとして、やめた。それから、母がいるときより慎重に、私の弁当を鞄へ入れた。

玄関を出る直前、父は「伴奏、何時だ」と聞いた。私は学校行事だから来なくていいと言いかけ、開始時刻だけを答えた。

翌朝も六時十二分になった。

時計は普通に時を刻み、雀は窓を横切った。

私は父の隣に立ち、りんごを半分受け取った。

うさぎの耳は、二人で切っても揃わなかった。でもその不揃いを、私はもう雑だとは思わなかった。