再生数が一人減るたび
ミックス画面の再生数が、曲の開始と同時に一人減った。
配信エンジニアの御厨千景は、表示の故障だと思った。公開前なのに待機者は一万二千人。ところが黒いイントロが四拍進むたび、数字は確実に減っていく。消えた歌い手・灰音ユラが最後に残したデータには、短い指示しかなかった。
「まだ聴かないで」
半年前、ユラは所属先から突然いなくなった。部屋には靴も財布も残り、パソコンだけ初期化されていた。会社は失踪を宣伝に変え、過去の歌唱データから合成ボイスを作った。その学習用ファイルを整えたのが千景だった。契約書には本人の署名があると聞かされ、息継ぎも咳も、泣いて録り直した夜まで切り分けた。
Aメロへ入ると、合成音声の背後で小さなノイズが鳴った。誰かがブラウザを閉じるたび、一枚ずつ薄皮が剥がれるように、作られた声が粗くなる。代わりに、ユラ本来の不揃いな呼吸が戻ってきた。
「まだ聴かないで」
コメント欄は騒然とし、視聴者は面白がって居残った。千景は気づく。再生数が減っているのではない。接続中の端末から、合成モデルの断片が一つずつ削除されているのだ。この曲は鑑賞用ではなく、配布済みの声を回収する削除命令だった。
サビで数字が百を切った。会社の担当者が千景へ電話し、配信を止めるなと怒鳴る。モデルが消えれば損害は億単位だ。千景の端末には、学習元を保存した最後のキャッシュがある。
残り二人。
スピーカーから、人工的な滑らかさを失ったユラの声がした。音程を外し、息を吸い損ね、それでも笑っていた頃の声だ。
残り一人。
再生画面に文字が現れる。
〈最後の保有端末:御厨千景〉
〈終了には画面を閉じてください〉
最後の一音が伸び始める。閉じれば証拠も遺作も消える。千景は迷い、カーソルを止めた。
そのとき携帯が鳴った。知らない番号の向こうで、誰かが一度だけ咳をした。録音では出せない、喉の乾いた生の咳だった。
千景は画面を閉じた。
暗転の直前、ユラの声が三度目の言葉を置く。
「まだ聴かないで」
未完成だから待て、ではなかった。盗まれた声を聴き続ける限り、彼女はいつまでも失踪できないのだ。