冷蔵庫の右側

母の家を出てから、鈴葉はよく物をなくした。鍵、診察券、充電器。母に「だらしない子」と怒鳴られ続けたせいで、手が震えるのだと思う。

だから私は、二人暮らしの部屋に規則を作った。

冷蔵庫の左側は鈴葉、右側は私。玄関の鍵は私が管理する。外出するときは三十分ごとに位置情報を送る。スマートフォンの暗証番号は、緊急時のため同じにした。給料は共同口座へ入れ、鈴葉には一週間分ずつ渡した。浴室の内鍵も外した。母はよく風呂場へ追い詰めたから、閉じ込められる場所をなくしたかった。

鈴葉は最初、「お姉ちゃんまでお母さんみたい」と笑った。冗談にしては顔色が悪かったので、私は強く抱きしめた。

「違うよ。私は守ってるの」

それから鈴葉は、右側の牛乳にも触れなくなった。帰宅が五分遅れた日は、玄関前で謝った。コンビニへ寄った日はレシートを食卓に置き、誰と話したか自分から報告するようになった。少しずつ落ち着いてきた証拠だと思った。

ある夜、鈴葉が眠ったあと、開いたままの画面に相談窓口の入力フォームが残っていた。

〈同居人から位置情報の共有を強制されていますか〉

〈金銭や鍵を管理されていますか〉

〈怖くて反対意見を言えないことがありますか〉

全部「はい」になっていた。

私は笑いそうになった。質問の書き方が悪い。事情を知らない人が読めば、保護と支配の区別がつかないのだ。

翌朝、鈴葉はいなかった。左側の棚は空で、位置情報も切られていた。鍵だけが食卓に置かれ、その下に短い紙があった。

――今度は一人で逃げます。

母から逃げた日も、鈴葉は同じ言葉を言った。あのときは私が手を引いてやったから、無事だったのに。

私は相談窓口へ電話し、妹は判断力が落ちている、知らない人に連れ去られたかもしれない、と説明した。担当者は鈴葉本人の意思を確認すると繰り返すばかりだった。

電話を切り、冷蔵庫を開ける。空になった左側へ、私は新しい付箋を貼った。

〈帰宅後、二人で今後のルールを確認すること〉