出張精算の部屋番号
八雲井澄伶が離婚を切り出した夜、倉橋野雅冬は鼻で笑った。
「証拠もないのに? 専業主婦の思い込みで、俺の信用は傷つかないよ」
隣にいた榎戸原絵梨紗も、悪びれず脚を組んだ。雅冬の部下で、毎月の地方出張に同行していた女だった。
「奥様って、領収書も読めないんですね。二人部屋なんて、会社が取るわけないのに」
澄伶は反論せず、食卓へ薄いファイルを置いた。
最初の頁は、ホテルが弁護士照会へ回答した宿泊記録。雅冬は会社へ別々の部屋代を請求していたが、実際に発行された鍵は同じ一室の二枚だった。二頁目は廊下の監視映像。三頁目は社用携帯の位置情報と、絵梨紗が私用端末へ送った写真の撮影地点。窓の形も壁紙も、部屋番号も一致している。
「盗撮だ」と雅冬が叫んだ。
「どれも会社とホテルが保存していた記録よ。私が撮ったものは一つもない」
さらに、二人が澄伶を嘲った音声が再生された。雅冬が出張報告用に回していた会議録音アプリを止め忘れたものだった。
『家で節約してるつもりらしい。俺たちのスイート代になってるとも知らずに』
絵梨紗の顔から笑みが消えた。
玄関の呼び鈴が鳴る。入ってきたのは、雅冬の会社の監査役と代理人だった。架空の二室分請求、虚偽の訪問報告、社用車の私的利用。二人は不倫だけでなく、経費不正の調査対象になっていた。
監査役は封筒を二つ差し出す。
「倉橋野課長と榎戸原主任は、本日付で懲戒解雇です。返還請求額は違約金を含めて一千二百万円になります」
続いて澄伶の弁護士が、慰謝料請求と財産保全の通知を置いた。雅冬の実家からも電話が入る。父親は会社の取引先へまで迷惑をかけた息子を勘当し、保証人を降りると告げた。
雅冬は初めて澄伶を見た。
「待ってくれ。家のローンはどうする」
澄伶は最後の頁を開いた。住宅は結婚前から彼女の単独名義で、雅冬が払ったのは光熱費だけだった。
監査役が二人の社員証を切り、弁護士が請求書へ受領印を押す。
ホテルの部屋番号が三つの書類に同時に記された瞬間、二人が隠れ家だと思っていた一室は、仕事も家庭も失う出口になった。