前に降ろした場所

【深夜タクシー怪異通報・聴取記録】

 個人タクシー運転手の鐘ヶ江卓海は、午前二時四十分、自ら警察署へ来た。

「三年前に消えた女を乗せました」

 旧市民病院前で手を挙げた女性は、失踪者の汐見坂冴にそっくりだったという。濡れた白い服を着て、右耳に赤い石のピアスをつけていた。

「行き先を聞くと、『前に降ろした場所へ』と言いました」

「あなたは汐見坂さんと面識が?」

「ありません。新聞の写真で見ただけです」

 鐘ヶ江は、女性が後部座席から道を指示したと説明した。国道を外れ、閉鎖された採石場へ入り、資材置場の奥にある一本杉の前で止めた。振り返ると座席は空で、濡れた跡だけが残っていた。

 警察が現場を掘ると、女性の遺体が見つかった。

 右耳にはピアスがなく、左耳にだけ透明な石が残っていた。赤い石の片方は、遺体を包んだシートの内側から発見された。

「幽霊が、なくしたピアスをつけていたんです」

 鐘ヶ江は繰り返した。

 だが車内録音には、女性の声が一度も入っていなかった。

 旧病院前で後部ドアが開閉した記録も、座席センサーの反応もない。

 録音されていたのは鐘ヶ江の声だけだった。

『また、あそこへ行けっていうのか』

『分かったよ。一本杉の下だな』

『今度こそ静かにしてくれ』

 採石場の入口には鎖が掛かっていた。

 鐘ヶ江は車を降り、運転席のマット下から鍵を取り出して開けている。鍵は採石会社が三年前に紛失届を出したものだった。

「女が、鍵の場所を教えたんです」

「録音にはありません」

「手で示したんです」

「暗い車内で、後ろを見ながら運転した?」

 鐘ヶ江は黙った。

 捜査員は走行履歴をもう一枚、机へ置いた。

 三年前、汐見坂が失踪した夜にも、この車は同じ経路を走っている。営業記録では回送扱いだった。

「初対面の客から『前に降ろした場所』と言われて、なぜ迷わず墓まで行けたんですか」

 鐘ヶ江は窓の外を見た。

 取調室の駐車場に、彼のタクシーが停まっている。

 誰もいない後部座席の右側だけが、ゆっくり沈んだ。

 鐘ヶ江は目を閉じ、初めて言った。

「前に降ろしたときは、まだ息がありました」