北口、十九時十四分

十九時四分。片桐周平は東京駅の北口で、仙台行きの切符を指に挟んでいた。発車まで十分。転勤の辞令を受け取った日から、安達莉央とは必要なことしか話していない。

「遅くなった」

莉央は息を切らし、黄色い魚のキーホルダーがついた合鍵を差し出した。二人で借りた部屋の鍵だった。魚の片目は、去年の大掃除で周平が掃除機に吸わせてなくした。

「郵便受けでよかったのに」

「手渡しで返せって言ったの、周平でしょ」

彼は受け取った。金属は、彼女の手の温度をもう失っていた。

一週間前、周平は〈一緒に仙台へ来ないか〉と送った。返事は〈無理〉の二文字だった。それで十分だと思った。彼女は東京の仕事を選び、自分は東北の支店を選ぶ。三年の生活は、辞令一枚より薄かったらしい。北口は、二人が残業後に待ち合わせた場所でもある。莉央はいつも五分遅れ、周平は自販機の温かい茶を二本買った。今夜は一本しか買わなかった。

「向こうの部屋、決まった?」

「会社が用意した。単身者用」

「そう」

莉央が笑った。責めるより疲れた笑い方だった。

発車案内が点滅する。周平は財布から、二人で初めて仙台へ行ったときの一日乗車券を抜いた。日付は三年前の四月。捨てるつもりで持ってきたのに、ゴミ箱まで数歩が遠い。

「人事に異動願いを出したんだ」莉央が言った。

「今さら?」

「今日まで結果を待ってた。無理って、そういう意味」

周平が顔を上げたとき、改札の向こうでベルが鳴った。

「通らなかったから、転職の面接も受けた。でも――」

彼は続きを聞かず、切符を通した。これ以上聞けば、会社にも自分にも戻れなくなる気がした。

十九時十四分、扉が閉まった。窓の外で莉央が携帯を掲げる。直後、周平の画面に一通届いた。

〈仙台支店・採用内定のお知らせ〉

その下に、莉央の言葉があった。

〈今度は「一緒に来て」じゃなくて、「一緒に暮らそう」って言ってほしかった〉

列車が動き出す。周平は合鍵を握ったまま、大宮から東京へ戻る列車を検索した。次の停車駅まで、二十四分。彼は仙台までの指定席を、そこで手放すことにした。