十七ページの銀杏
小名木澄乃がその本を借りたのは、読みたかったからではなかった。
放課後の図書室で、窓際の席が一つしか空いていなかった。向かいに座っていた榛色のカーディガンの男子が、澄乃の手元を見て言った。
「何も読まないなら、これ貸そうか」
差し出されたのは、何度も開かれた跡のある文庫本だった。表紙の角は白く擦れ、題名も聞いたことがない。
断る理由を考えているうちに、下校放送が流れた。
「返すの、いつでもいいから」
名前もよく知らない相手から本を借りるのは妙だった。それでも澄乃は鞄へ入れた。
家で十七ページを開いたとき、銀杏の葉が一枚、床へ落ちた。
薄く乾き、葉脈だけが濃く残っている。栞にしては脆すぎた。戻そうとして、挟まれていた行が目に入った。
――人は別れを選ぶのではなく、別れなかった日を積み重ねている。
澄乃はそこから先を一晩で読んだ。
翌日、図書室へ行くと、男子は同じ席にいた。文庫本を机へ置き、銀杏をそっと挟んで返す。
「十七ページ、好きなの?」
彼は驚いた顔をした。
「葉っぱ、入ってた?」
「わざとじゃないの?」
「去年、校庭で拾ったやつ。なくしたと思ってた」
特別な意味などなかったらしい。澄乃は少しだけ拍子抜けした。
「でも、その頁は好き」
彼はそう言って、銀杏を指先で撫でた。
「読んだ?」
「全部」
「早い」
「返す理由がなくなる前に」
口にしてから、変な言い方だと気づいた。
彼は笑わず、文庫本を受け取った。そして鞄から別の一冊を出した。
「同じ作者。今度は返却期限、来週」
「いつでもいいんじゃなかったの?」
「それだと、来ないかもしれないから」
窓の外で、銀杏の木が夕日に透けていた。
澄乃は二冊目を受け取った。栞は挟まっていなかったので、借りたばかりの頁へ、彼が返してくれた銀杏を二人で置いた。
それから毎週、澄乃には本を返す理由ができた。
最初の一冊の内容は、ところどころ忘れてしまった。けれど十七ページを開いたとき、乾いた葉が机へ落ちた小さな音だけは、卒業までずっと覚えていた。