十七時四十二分の裏側

 町で唯一の駅が廃止になると聞いて、日高宗介は十五年ぶりに帰郷した。

 駅舎は高校時代のままだった。剝げた青いベンチも、風が吹くたび震える時刻表も、下り列車が来る十七時四十二分だけ長く鳴る踏切も。

 あの頃、宗介は毎日、鵜飼真白と同じ列車で帰った。

 真白は窓際に座り、鞄から飴を二つ出した。苺なら彼女、檸檬なら宗介。たまに同じ味しかない日は、じゃんけんをした。冬、窓が曇ると、真白は指で丸を描き、その中へ夕焼けを閉じ込めた。宗介は向かいに座って、その横顔を見ていないふりをした。

 話すのは試験や先生の癖や、駅前の猫のことばかりだった。

 好きだ、と言うための話題は、いつも最後まで残った。

 卒業式の日、真白は父親の転勤で遠くへ行くことになっていた。

 宗介は定期券の裏に油性ペンで書いた。

〈ずっと好きだった。向こうへ行っても、忘れない〉

 駅へ着くまで、胸ポケットから出す練習を七回した。自動販売機の前で一度、ベンチの端で二度、真白が飴を探しているあいだに四度。それでも彼女が顔を上げるたび、手は空っぽになった。

 十七時四十二分。列車が入ってくる。真白が「じゃあね」と笑う。宗介は定期券を握ったまま、「元気で」と答えた。

 扉が閉じてから、窓の向こうの真白が何か言った。

 けれど発車ベルに消され、口の形だけが残った。

 宗介は走らなかった。走れば間に合う気がして、間に合ったあとが怖かった。

 廃止前日の駅で、元駅員が古い落とし物を並べていた。

「改装のとき、ベンチの隙間から出てきたんだ」

 差し出された定期券には、鵜飼真白の名があった。期限は卒業式の日。

 裏返す。

〈宗介が好き。言えなかったら、窓から言う〉

 宗介は笑って、それから長く息を吐いた。

 自分の定期券も、財布の奥にまだある。文字は擦れて、ほとんど読めない。

 十七時四十二分、最後の下り列車がホームを離れた。

 窓は一枚ずつ夕日に光り、どれもあの日の口元を映しているようだった。

 宗介は誰もいない線路へ向かって、十五年遅れの返事をした。

「僕もだよ」

 踏切は鳴らなかった。

 だから今度は、言葉がどこにも消えなかった。