午前三時の道祖神
午前三時、コンビニの自動扉が開いた。
客は入ってこない。代わりに、傘立ての陰から親指ほどの老人が現れた。石の笠をかぶり、杖の先に白い紙片を結んでいる。
夜勤の店員が声をかけると、老人は扉の前で足を止めた。
「どちらへ、と聞かれなければ、敷居を越えられん」
それが、この小さな道祖神の決まりらしい。
「どちらへ?」
「それが分からぬから迷っておる」
店員は休憩用の椅子へ老人を乗せ、熱い茶を紙コップの蓋へ注いだ。道祖神は塩むすびを米粒三つぶん食べ、店内を眺めた。
深夜の店には、行き先を決めかねる人が来る。
家へ帰りたくない学生。病院へ向かう前に立ち止まる家族。辞表を鞄へ入れた会社員。
店員はいつも、商品棚の場所しか尋ねなかった。
夜明け前、娘からメッセージが届いた。
「来月の引っ越し、手伝わなくていい。どうせ仕事でしょう」
離婚してから、娘とは月に一度会うだけだった。進学で町を出ると聞いても、「応援してる」とだけ返した。本当は、遠くへ行ってほしくない。けれど父親が足を引っぱるようで言えなかった。
道祖神が杖でスマートフォンを叩いた。
「おぬしも敷居の前におるな」
「私は、ここで働いてる」
「そういう敷居ではない」
店員は返信欄を開き、閉じた。
そのとき、制服姿の学生が入ってきた。おにぎりを一つ手に取り、レジ前で長く立っている。
「始発は、どっちですか」
「東口です」
いつものように答えかけて、店員は続けた。
「どちらへ行くの?」
学生は驚き、しばらくして、
「家です。たぶん」
と言った。
店員は温かい茶も勧めた。学生は礼を言い、少し背筋を伸ばして出ていった。
道祖神は満足そうに立ち上がった。
「今度は、おぬしの番だ」
店員は娘へ電話した。
朝早すぎると分かっていたが、留守番電話へ言葉を残した。
「手伝いたい。仕事は休む。行ってほしくない気持ちもある。でも、行くなら駅まで送らせてほしい」
言い終えると、自動扉が開いた。
道祖神はようやく外へ歩き出した。
「どちらへ?」
店員が尋ねる。
老人は、明るくなり始めた交差点を指した。
「呼ばれた方へ」
昼、娘から短い返事が来た。
「じゃあ、段ボールを十箱お願い」
行き先は変わらない。
それでも、見送る場所を自分で選ぶことはできた。