卵焼きの端

朝五時半、澪子は目覚ましが鳴る前に台所へ立った。

高校生の息子、颯太の弁当を作るのは今日で最後だ。来週には卒業式、その後は県外の寮へ入る。昨夜、「最後だから何がいい」と訊いたら、「いつもので」と返された。

いつもの卵焼き、塩鮭、ほうれん草の胡麻和え。特別なものは一つもない。

卵を三つ割り、砂糖と出汁を加える。熱した四角い鍋へ流すと、じゅっと小さな音がした。半熟の表面を箸で巻き、また卵液を流す。何千回も繰り返した手順なのに、今日は巻き終わりが少し曲がった。

端を切り落として口へ入れる。熱くて甘い。颯太が幼稚園の頃、弁当箱の蓋を開けたまま帰り、「黄色いのだけ、もっと」と言ったことを思い出した。

炊きたてのご飯を詰め、冷ます。急いで蓋をすると水滴がつくから、いつも窓を少し開けた。二月の空気が入り、湯気をさらっていく。

起きてきた颯太は、弁当を鞄へ入れながら「あれ、今日も鮭?」と言った。

「いつものがいいって言ったでしょう」

「そうだけど」

不満そうな声まで、いつもと同じだった。

昼過ぎ、澪子は空になった台所で、自分用に残した卵焼きの端を食べた。もう冷めていて、朝より甘さがよく分かった。

夕方、颯太が帰る。弁当箱はいつものように流しへ置かれた。洗おうとして持ち上げると、底に小さな紙が入っている。

〈六年間、うまかった。寮でも卵焼き作ってみる〉

澪子は紙を冷蔵庫へ貼り、箱を洗った。角に残った胡麻を指で落とす。湯をかけると金属がゆっくり温まり、出汁と洗剤の匂いが混じった。

明日の朝は、卵を三つも割らなくていい。それでも鍋だけは、いつもの場所へ伏せておいた。

一週間後、寮へ向かう朝だけは、もう一度同じ弁当を作った。新しい箱の隅へ卵焼きを詰めると、颯太は何も言わず端の一切れをつまみ食いした。「熱い」と顔をしかめる。その声を聞いて、澪子はようやく笑った。蓋を閉めた箱の内側で、最後の湯気が小さく曇った。