喉を鳴らす翻訳機

妻が亡くなってから、父と娘の会話は猫の世話だけになった。

「餌、あげた?」

「水、替えた」

「病院、土曜」

必要な言葉だけで暮らせば、互いの悲しみに触れずに済んだ。

ある日、娘が学校の科学部から猫用翻訳首輪を持ち帰った。

鳴き声ではなく、喉を鳴らしている間だけ、猫の考えていることを人の言葉へ変える試作品だという。

首輪を付けると、猫は父の膝へ乗った。

ごろごろという音に続いて、小さな機械声がした。

「ここ、前は、やわらかい人の場所」

父の手が止まった。

妻はいつもその椅子で猫を抱いていた。

猫は娘の膝へ移る。

「この人、夜、布団の中で水の音」

娘が慌てて猫を下ろした。

「壊れてる」

「水の音って何だ」

「知らない」

その夜から、二人は猫が喉を鳴らさないよう距離を取った。

翻訳されれば、隠していることまで猫にばらされる。

ところが三日目、猫が餌を食べなくなった。

病院では異常なし。

家へ帰ると、猫は妻の空いた椅子の下へ潜り、動かない。

父と娘は床へ座った。

娘が恐る恐る背を撫でる。

猫はごろごろと鳴った。

「二人、同じ匂い。別々の部屋で、同じ待つ」

父は翻訳機を外そうとし、やめた。

「何を待ってる」

猫へ聞いても、答えは人間の質問どおりには返らない。

「やわらかい人、帰らない。二人、帰ってこない顔」

娘が泣き出した。

「お父さん、平気な顔してるから、私だけ変みたいだった」

父は言い返せなかった。

娘を支えるつもりで、妻の話をしなくなった。泣かないことが親の役目だと思っていた。

「私も夜、泣いてる」

父が言うと、娘は驚き、次に怒った。

「何で言わないの」

「言ったら、お前がもっと悲しむと思った」

「もう悲しいよ」

猫は二人の間へ丸くなった。

「やっと、同じ部屋」

翻訳機はその一言を最後に、電池が切れた。

充電しても二度と動かなかった。

それから父と娘は、猫の世話以外のことも少しずつ話した。

妻の卵焼きが甘すぎたこと。

最後の喧嘩。

忘れたくない声。

猫が喉を鳴らすたび、もう言葉は聞こえない。

けれど二人は同じ椅子の前へ集まる。

猫の翻訳が必要だったのは、猫の気持ちではなく、互いに同じものを待っていると知るまでだった。