四拍目のさよなら
最後の練習なのに、柊木航平は四拍目を叩かなかった。
「もう一回。今のは俺が悪い」
「三回とも同じところで止めてるじゃん」
ベースを下ろした槙野莉子が笑う。笑い方だけは、四年間ずっと変わらない。乾岳はアンプの前にしゃがみ、東京行きの高速バスの時刻を確認していた。
大学の部室は、卒業式の翌日から改装に入る。壁の吸音材には無数の画鋲穴があり、窓際には誰のものか分からない譜面台が一本残っていた。三人のバンド〈四月魚〉がここで音を出すのも、今日が最後だった。
「莉子、配属どこだっけ」
「地元の総合病院。夜勤もあるから、ライブは無理」
「岳は?」
「高円寺の店でバイトしながら、サポートを二つ。売れなかったら、それもネタにする」
二人が航平を見る。
「俺は五年生。単位が八つ足りない」
「じゃあ続けられるじゃん」
「一人で何を続けるんだよ」
航平はスティックを回した。冗談にすればよかったのに、誰も笑わなかった。
最後に選んだのは、入学した春に作った曲だった。歌詞は「どこへでも行ける」と繰り返す。あの頃は進路という言葉を、希望の別名だと思っていた。
莉子の声が少し裏返り、岳のギターが珍しく走った。航平は三拍目まで叩き、今度こそ四拍目を落とした。空白の向こうで、二人の音だけが先へ進んだ。
「直さないの?」と莉子が訊く。
「このままでいい。最後くらい、俺たちらしい」
片づけの途中、岳は使い古したピックをアンプの上に置いた。莉子はマイクケーブルだけを丁寧に八の字に巻き、自分のベースを背負った。
部室を出る直前、航平はグループチャットの名前を〈四月魚・連絡用〉から〈四月魚〉へ戻した。連絡する予定は、もうない。履歴を遡ると、遅刻の言い訳、没になった曲名、三人で朝まで選んだ機材の写真が並んでいた。航平は一枚も消さず、画面を伏せた。
廊下で莉子が右へ、岳が左へ曲がる。航平は鍵を返すため、まっすぐ事務室へ向かった。
背後の部室には、誰も座らないドラム椅子と、鳴らされなかった四拍目だけが残っていた。