図面の余白

岳藤重工の新研究棟は、鳳来宗景部長の代表作として社内報に載ることになった。記事には、免震構造も研究員の動線も、すべて鳳来の発案だとある。半年間、終電まで図面を引いた鷺宮紬乃の名は、設計補助の欄にもなかった。しかも掲載日は昇進審査の前日で、鳳来はその実績を役員面談へ持ち込むつもりだった。紬乃には、記事の誤りを口外するなと念まで押していた。

竣工前の最終会議で、鳳来は模型の横に立ち、得意げに説明した。

「研究者の偶然の出会いを生む吹き抜けです。私が最初からこだわりましてね」

紬乃は壁際で議事録を取った。吹き抜けを提案した夜、鳳来は「床面積が減る」と却下した。大河内宣隆専務を説得するため、紬乃が人流解析を三度やり直したことも、鳳来の説明からは消えていた。

大河内が模型を回し、北側の細い継ぎ目を指した。

「では鳳来さん。この十二ミリの余白は?」

「意匠上の遊びです」

「違います」

短い声で遮ると、大河内は紬乃を見た。

「鷺宮さん、お願いできますか」

紬乃は立ち、隣接棟との微振動の差を逃がすための目地だと説明した。精密測定器への影響、冬季の収縮、清掃機器の幅まで答える。大河内は一つずつ頷いた。

鳳来が笑って割り込んだ。

「もちろん部下には、私の構想を細部へ落とし込ませました」

大河内はタブレットを机へ置いた。画面には、紬乃と交わした四十七通の設計メールが並んでいた。宛先に鳳来の名は一度もない。

「三年前の改修工事から、私は鷺宮さんと仕事をしています。あなたとは月次報告で顔を合わせただけだ」

会議室が静まった。

大河内は社長へ向き直り、封筒を滑らせた。

「増築棟と海外拠点、総額百二十億円の基本合意書です。ただし条件があります。設計統括は鷺宮さん。鳳来さんが指揮系統に残るなら、他社へ切り替えます」

社長がその場で合意書に署名し、紬乃の前へ差し出した。

「鷺宮設計統括、受けてくれるか」

紬乃がペンを取る横で、社内報の校正紙から鳳来の名が赤線で消された。