土の匂いが勝つ夜

王立農政局を追われたリシェルに渡された退職金は、銀貨ではなく一枚の権利書だった。

《北端第七農地。三十年間、収穫記録なし》

要するに、誰も欲しがらない捨て地である。屋敷は傾き、畑は腰まで草に埋もれ、用水路には石と枯れ枝が詰まっていた。

それでも最初に直すものを、リシェルは迷わなかった。

「水が来なければ、何を植えても同じです」

王都の会議で何度言っても、飾りの噴水には予算がつき、用水路の補修は却下された。だから今日は、誰の許可も取らずに水門へ向かった。

土に膝をつき、根を一本ずつ切る。大石には丸太を差し込み、体重をかけた。昼を過ぎても動かなかった石が、夕方、鈍い音を立てて転がった。

堰き止められていた水が細い銀色になって走り出す。乾いた一列へ染み込み、黒い土がゆっくり色を変えた。立ちのぼった匂いは、香水だらけの王宮よりずっと豊かだった。

水は勢い任せに流せばよいわけではない。リシェルは裸足で畝へ入り、泥の沈み方を確かめた。石を二つ置いて流れを分け、枝を一本差して今日の水位を刻む。王都では報告書の数字しか見なかった役人たちも、土が水を飲む音までは知らないだろう。細い泡が消え、ひび割れが閉じていくのを見ているうちに、肩に溜まっていた怒りまで静かになった。

そのとき、王都の紋章をつけた早馬が門前で止まった。

「局長代理より、至急の召還状です。南部の旱魃対策に、あなたの知見が必要だと」

差し出された封書は、昨日までなら喉から手が出るほど欲しかった言葉で封じられていた。

リシェルは受け取ると、開かずに台所へ持っていった。ぐらつく卓の脚に折り畳んで挟むと、卓はぴたりと安定した。

鉄鍋では、旅の残りの芋と玉葱が油を吸って焼けている。ぱちぱちという音。焦げた皮の香り。汲みたての水から上がる白い湯気。

「返事は、明日の朝にします」

使者が目を丸くする。

リシェルは木匙を取り、最初の一口を自分の皿へよそった。

王都の都合は、何年でも彼女を待たせた。なら今夜くらい、王都のほうが待てばいい。