塩ひとつ分の勇者

勇者ダリオンがセネトを追放した翌朝、〈暁の剣〉は峡谷で岩猪の群れに囲まれた。

相手はいつもなら肩慣らしだった。ダリオンが一頭を斬り、槍士が二頭を倒す。ところが三分も経たないうちに、全員の足がつった。腕が震え、息だけが熱くなる。

「何を盛った、昨夜の飯に!」

誰も答えられなかった。昨夜から料理人はいない。朝食は干し肉と水だけだった。

神官が回復魔法を重ねても、震えは止まらない。魔法は傷を閉じても、汗で失った塩までは戻さない。遠征のたび、セネトは気温と行軍距離を見て、岩塩と酸実を汁物に量り入れていた。誰も気づかなかった。勇者たちは、身体が動くのを自分たちの強さだと思っていたのだ。

ダリオンは干し肉へ直接岩塩を振りかけたが、喉が渇いて水を飲みすぎ、今度は腹を抱えた。必要なのは塩の多さではなく、汗の量に合わせた配合だった。剣技では埋められない差が、空になった椀一つ分だけ残っていた。

そのころセネトは、峡谷の反対側にある国境砦で大鍋をかき回していた。

「負傷者が昨日の倍も歩けたぞ」

砦医長は、塩気のある豆のスープを飲み干し、厨房の壁に新しい札を掛けた。

――遠征食監督、セネト。

ただの料理人ではない。兵の汗と疲労を読み、食事で翌日の戦力を作る者。その仕事に初めて名前がついた。

昼過ぎ、泥だらけの伝令が厨房へ駆け込んだ。差出人はダリオンだった。

『すぐ戻れ。今回だけは追放を取り消してやる。朝と夜の食事を作れば、荷物運びも免除する』

セネトは文面を読み、酸実を一つ搾った。戻ればまた、鍋は勝手に湧き、疲れない身体は勇者の才能ということになる。

砦医長が黙って契約書を差し出した。報酬欄には、以前の三倍の額と、献立決定権が記されている。

セネトは新しい契約書に署名し、伝令には古い木札を返した。

「ダリオン殿へお伝えください。〈暁の剣〉との雇用契約は、追放を告げられた時点で終了しています」