夜干しのシャツは月を向く
楮原透季が台所へ降りると、母はテーブルに突っ伏して眠っていた。
介護施設の早番から帰り、夕食を作り、洗濯機を回したところで力尽きたらしい。片手には、透季の体操服から外した名札が握られていた。
時計は午後十一時。明日も母は五時に起きる。
透季は洗濯機の前に立った。
これまで洗濯物は、たたまれて自分の部屋へ届くものだった。靴下が片方ないと文句を言い、シャツの襟が曲がっていると「ちゃんとして」と言った。母がどの時間に洗い、干し、取り込んでいたのか考えたこともない。
ふたを開けると、濡れた衣類が絡み合っていた。母の仕事着、タオル、透季の制服。説明書を検索し、ハンガーを集め、ベランダへ運んだ。
シャツは重く、袖がすぐ裏返る。靴下は一つ落とした。母の仕事着には、消毒液の匂いが染みついていた。
毎日これを着て、誰かの食事や着替えを手伝っているのだろう。そのあと家へ帰り、透季の世話まで続けていた。
ベランダで悪戦苦闘していると、母が目を覚ました。
「何してるの」
「見れば分かるだろ」
「明日、しわになるよ」
「じゃあ、明日の俺がアイロンかける」
母は何か言おうとして、やめた。代わりに、隣のハンガーへ手を伸ばした。
透季はその手から洗濯物を取った。
「今日は俺の担当」
「頼んでないけど」
「頼まれないと、家族は何もしちゃだめなの」
母は黙り、ベランダの椅子へ座った。
二人で月を見た。正確には、透季が干し、母が見ていた。袖の向きが違う、間隔が狭い、と何度か注意されたが、立ち上がろうとはしなかった。
最後に自分の制服を干すと、胸ポケットから小さな紙が落ちた。
〈今週もよく頑張ったね〉
母の字だった。弁当に入れようとして、洗濯したらしい。
透季は紙を広げ、物干しばさみで制服の横へ留めた。
「これ、明日まで乾くかな」
母は笑った。
「紙は無理。でも、読めたなら十分」
翌朝、シャツは少ししわになっていた。
透季は早く起き、アイロンをかけた。母の仕事着にも。
家事は、きれいな服や食事を作るだけではない。
誰かの疲れを、次の朝まで持ち越させないためにあるのだと、透季は初めて知った。