夜明けを一枚
一夜だけ開く市場は、鐘楼が十二を打つと、城壁の影から滲み出した。エルシェは眠った妹を背負ったまま、人波をかき分けた。香辛料、瓶詰めの星明かり、まだ誰も口にしていない噂。どの露店も眩しかったが、彼女が探す品は一つだけだった。
「夜明け札はありますか」
銀髪の商人は、帳面から薄金色の札を抜いた。
「これを胸に置かれた者は、必ず次の朝を迎える。ただし代金は、買い手がこれから迎えるはずだった、いちばん幸福な朝だ」
札の表には妹の名を書く欄があり、裏にはエルシェの未来が水面のように映った。
東門。薄桃色の空。旅行鞄を二つ積んだ小さな馬車。その御者台で、長く待たせた人が笑っている。今夜、枕の下に届いた手紙と同じ光景だった。
――夜明けに東門で。今度こそ、二人で行こう。
その人は、妹も一緒に連れていこうと言ってくれた。けれど高熱の身体で旅はできない。治療師は今夜を越せるか分からないと首を振り、エルシェは手紙を隠して市場へ来た。
家の借金も、決められた婚約も、妹の薬代も捨てて、ようやく選んだ朝だった。エルシェは何度も手紙を読み返した。文字の角まで覚えた。妹が熱に浮かされて「行って」と言った声も。
「別の朝ではだめですか」
「幸福の値は、幸福でしか釣り合わない」
背中で、妹の呼吸が一度途切れた。
エルシェは札を受け取った。商人が差し出した鋏の刃には、東門の朝焼けが映っている。これを閉じれば、あの朝は未来から切り取られる。彼は待つだろう。馬車の隣で、日が高くなっても。けれどエルシェはそこへ辿り着かない。理由さえ誰にも分からない形で、道が閉じるのだという。
妹の指が、背中越しにかすかに動いた。
エルシェは手紙を胸元から出し、幸福だったはずの朝を最後にもう一度見た。逃げたいと思った。妹を置いて走れば、まだ間に合う。その考えを責める者は、この市場には一人もいなかった。
「名前はここに?」
商人が問う。
エルシェは妹の名を書いた。インクが金色に乾いていく。
「それでも、買います」
鋏が、夜明けを挟んだ。