大根葉の音がする台所
雨宮澪人が古いアパート「若葉荘」へ越してきた翌朝、大家の芳江が土のついた大根を三本抱えて現れた。
「畑の人が置いてったの。一本、助けて」
助ける、という言い方が可笑しくて、澪人は久しぶりに笑った。
婚約を解消してから、料理をしていなかった。二人分を一人分へ直すのが面倒で、鍋も皿も段ボールの底に入れたままだった。
「葉っぱは捨てていいですか」
「そこが一番ごはん泥棒なのに」
芳江は当然のように靴を脱ぎ、台所へ上がった。
包丁もまな板も見つからず、二人で箱を開けた。ペアのマグカップが出てきたとき、澪人の手が止まる。
「片方、植木鉢にでもしな」
芳江はそれ以上何も言わず、ようやく見つかった包丁で大根葉を細かく刻んだ。刃先の音が、空の部屋へ小気味よく響いた。
フライパンに胡麻油を落とすと、青い匂いがふっと立った。葉が油を含んで鮮やかになり、じゃこを加えると、ぱちぱちと小さな雨のような音がする。醤油、みりん、白胡麻。芳江は味見をして、砂糖をほんのひとつまみ足した。
「甘くするんですね」
「苦い日にはね」
炊飯器もまだ箱の中だったので、芳江の部屋から炊きたてのごはんを分けてもらった。二人は空いた段ボールを机代わりにし、大根葉を山盛りのせて食べた。
じゃこの塩気と葉のほろ苦さが、熱い米に混じる。噛むたび、胡麻が香ばしく弾けた。澪人は二口目を急ぎ、茶碗の底に散った葉まで箸先で集めた。誰かと食べると、冷める前にもう一口と思えるのが不思議だった。
「一人になったら、何を食べても同じだと思ってました」
「一人分は味が薄いわけじゃないよ」
芳江は自分の茶碗へもう一匙のせた。
「ただ、最初の一口を見てくれる人がいないだけ」
食後、澪人はペアのマグの片方を洗った。欠けていない方を芳江へ差し出す。
「お茶、飲んでいきますか」
「濃いめなら」
窓の外では、冬の風が物干し竿を鳴らしていた。台所には炒めた胡麻油と醤油の匂いが残り、まだ空っぽの部屋を、少しだけ暮らしの場所に変えていた。